Story

江戸の風に吹かれて300年 伝統×革新で守り継ぐ風鈴の涼音

篠原風鈴本舗
篠原惠美さん、由香利さん

 

江戸川区・南篠崎町にある「篠原風鈴本舗」が創業したのは大正時代。江戸時代から脈々と受け継がれてきたガラス風鈴の製法を守っていることから、二代目の篠原儀治さんが「江戸風鈴」と名付けた。初代・又平さんから数えて四代目にあたる篠原家の人たちとお弟子さんが一丸となって伝統の技を今へと繋いでいる。

 

風鈴の歴史は古い。古代中国を起源とし、日本では平安・鎌倉の時代に青銅の風鈴を厄除けとして吊した記述も残っているのだとか。ガラスの風鈴が登場するのは江戸時代の中期だが、当時は超が付くほどの高級品。庶民の間に浸透したのは初代が生まれた明治20年代で「篠原風鈴本舗」の歩みと風鈴の音色が一般に楽しまれるようになった歴史が重なる。

 

代表の篠原惠美さんに、製造現場を案内してもらった。まずは1300度を超える炉の中で材料となるガラスを溶かす。ねっとりと赤い水あめのようなガラスを、「共竿」という長いガラス管で巻き取り、竿をくるくると回しながら息を吹き込み、膨らませていく。この空中で丸い形を作る「宙吹き」が、江戸時代から300年間変わらない技法で、現在でも一つひとつ手作業で行われている。

 

「一見簡単そうに見えますが、ガラスが冷めない1~2分 のうちにきれいな丸を作るのは本当に難しいんです」と惠美さん。

10分ほど冷ました後、口の部分を切り落としてヤスリをかける。このとき「鳴り口」と呼ばれるガラス玉の断面に適度なギザギザを残しておくと、棒が縁を撫でるだけで良く鳴る。江戸風鈴の音色の秘密だ。

 

「一つひとつ人の手で型を使わず作ることで、玉の大きさやガラスの厚さが微妙に変わり、風鈴ごとに違った音色になります。どの音色がいいかな、と自分に合った音を探すのも江戸風鈴の楽しみなんですよ」

出来上がったばかりのガラス玉。よく見るとまだオレンジ色をしているのが高温である証。熱いうちに共竿から切り落とし、コークスの粉の上に置いて冷ます。

ガラスを切り落とすのも、ヤスリをかけるのも、加減を間違うと玉が割れてしまう。触っても安全でいい音が鳴る「ちょうどいい塩梅」の鳴り口にするのにも、技術と経験が必要だ。

ガラスの玉が出来上がると「絵付け」の作業に入る。このとき、玉の内側から絵を描くのも江戸風鈴の特徴で、外から見たときにきれいに見えるよう、重ね塗りの順番を考慮しなくてはならない。もちろん、文字を書くときは鏡文字になる。惠美さんと娘の由香利さんが、下描きもないままスイスイと筆を動かす様子は見事のひと言だ。

 

三代目である故・裕さんとの結婚を機に風鈴作りの道に入った惠美さん。

 

「最初はうまくできませんでしたが、嫁いだからにはやるしかないという気持ちで、簡単な絵柄から数をこなして筆遣いを身につけていったんです」

 

一方の、由香利さんは家業を手伝う形で小学生の頃から筆を握っていたそうだが「あの頃はいやでしょうがありませんでした」と当時を振りかえる。

 

「風鈴は夏が繁忙期なので、友達と遊びたいのに夏休みは家のお手伝いがあるんです。9~17時にきっちり終わって土日休みの仕事をしたい、と長年思ってきたのですが、いつの間にか風鈴を作る人生も悪くないな、と思うようになって」

うさぎの柄は、まず赤い目を描き、乾いてから白い絵の具で身体を描く。「『このうさぎが可愛い』と楽しそうに選ぶお客様を見ていると、均一ではない手仕事の良さを感じます」と由香利さん。

乾いた塗料が固まり、岩のようになった絵の具皿。風鈴の絵付けにはガラスに着彩可能な塗料を用いるが、イメージ通りの色を作るだけでも手間がかかるそうだ。

 

そんな由香利さんが家業を守る思いを固めたのは、2020年より始まったコロナ禍。

 

「百貨店の催事がなくなり、修学旅行生の風鈴作り体験もキャンセルが相次いで、実質的に仕事がゼロになったんです。繁忙期である夏にガラスの炉を止めたのは『篠原風鈴本舗』の歴史でほとんど例のないことで、このとき『風鈴屋をやめるのは嫌だ』とはっきり思った。私は風鈴が好きなんだ、と気づいたんです。このとき、家業を守っていこうと覚悟が決まりました」

 

そんな決意が実を結んだのが、2020年春に発売した「アマビエ」デザインの風鈴だ。

 

「もともと風鈴は音で魔を払う『厄除け』というルーツを持っています。また『換気』や『風通し』が言われるなか、風鈴の風を捉えるイメージとアマビエの絵とが相まったのではないでしょうか。商売が厳しいときだったので、たくさんの注文をいただいたときはホッとしました」と由香利さんは当時を振りかえる。

右が「アマビエ」柄の風鈴。疫病封じの妖怪として、コロナ禍の最中にSNSを中心に流行した。文字どおりアマビエのパワーは篠原家を守ってくれたよう。

風鈴の形は、定番の「小丸」のほか、さらに大きい「中丸」「大丸」、二段になった「ひょうたん」、釣り鐘型の「しんすい」などがあるが、宙吹きの技法で作れる形はある程度限られている。しかし、アマビエの例が示すように、絵付けの柄は時代に応じて変化し続けてきた。

 

「夏は朝顔や金魚などの涼しげな柄が定番なのですが、招き猫やだるまなど縁起のいい柄を取り入れたところファンができました。お客様から『こんな柄はないの?』とリクエストをいただくことも。そのお気持ちに応えることで風鈴の可能性も広がっていくと思うので、新柄にはどんどん挑戦します」と惠美さんは意欲を見せる。

 

2021年には人気アニメ『鬼滅の刃』とコラボレーションした『煉獄家の風鈴』が発表された。作中に篠原風鈴本舗の風鈴の音が使われたことがきっかけだったが、大きな反響を呼んだという。由香利さんは「アニメに使われたあの風鈴だ、と喜ぶファンの方が多くて。作品の世界観と同時に、風鈴を身近に感じてもらえるのは嬉しいですね」と話す。

 

年に一度開催される、「江戸川伝統工芸展」での新作発表も、ふたりにとってモチベーションの源。「毎年新しい柄を出して、『こんな風鈴は初めて見た』と言っていただきたくて。世の皆さまに喜んでいただきたい、という職人としての探求心ですね」と惠美さんは言う。

絵付けの作業場で、手を動かす惠美さん(左)・由香利さん(右)。テーブルの上にある無数の筆を色や用途に応じて使い分けながら、繊細な柄を描き出していく。

 

ものづくりに力を尽くす一方で、由香利さんは「販売する」ことの難しさを口にする。「作るだけでは続けていけません。どうお客様にお届けし、喜んでいただけるかを常に考えなければ」

 

現代の密集した住宅事情においては、日本の夏の風物詩として親しまれてきた風鈴の音色も「騒音問題」として捉えられることもあるという。そこで軒下に吊さずとも、室内で風鈴を楽しんでもらうために、オリジナルの卓上スタンドを開発。インテリアとしての提案も始めたところ、二つ、三つと風鈴を並べて愛でるお客様も増えてきたのだとか。

 

「風鈴は生活必需品ではないかもしれません。でも、きれいな音が聞こえると心にふわりと余裕を与えてくれるのではないか、とも思うんです」と惠美さん。暮らしの中に風鈴があることで、季節を感じる心のゆとりを生むきっかけに。それもまた、江戸風鈴の変わらぬ魅力であり、役割なのかもしれない。

 

毎年7月、浅草の浅草寺で開かれる「ほおずき市」は、縁起ものであるほおずきと、涼を呼ぶ風鈴を吊した鉢を販売するのが通例だ。篠原風鈴本舗が江戸川区に拠点を置いて約50年、区内にはほおずき業者や風鈴の材料を扱う業者がおり、商いには都合の良い立地だったという。

 

そういった業者の数は減りつつあるものの、未だ変わらぬ、ものづくりがさかんな地域性が江戸川区の魅力、と惠美さんは考えている。

 

「大小問わず、工場も多い土地柄です。周辺住民の方々もものづくりに理解があり、音が出るような作業も受け入れてくれているように感じますね」

 

小学生が風鈴作りを見学に来る授業があるなど、子どもの頃からものづくりに親しむ環境を区が用意しているのも、伝統工芸に前向きな影響を与えている、と由香利さん。

「小学生の頃に見学に来た、という方が大人になって『子どもを連れてきました』と風鈴を買いに来てくれることもあるんです」

 

先ほど製造現場で宙吹きを見せてくれた職人の大槻賢一さんも、小学生時代に風鈴作りを見学したことがきっかけでこの道に進んだひとりだ。地域との温かな結びつきもまた、伝統工芸を未来へと繋げる大きな支えになっているのだ。

 

中央の「うさぎの盆踊り」は、現代のライフスタイルに合った伝統工芸品を生み出す江戸川区のプロジェクトによって、美大の学生とコラボレーションして生まれた柄。

 

最後に、おふたりに「これからの夢」を伺った。

 

「江戸時代にガラスの風鈴が生まれて300年。その伝統を守りながらこれからまた300年、400年と作り続けていけたら。でも、そのためには複雑な技術を伝え、音の良さを追求するのはもちろんですが、昔と同じことをやっていくだけではダメ。時代に合わせて変化する心を大切に持ち続けなければいけないと思っています」

 

そう語る母・惠美さんに、由香利さんも相づちを打つ。

 

「亡くなった祖父(二代目)が、和菓子『虎屋』社長の言葉を借りて、『老舗は最先端を行かなきゃダメだ』と常々言っていたんです。風鈴作りは “業界” もないですし、まして『江戸風鈴』を手がけるのはわが家と親せきの2軒のみ。国から伝統工芸に認定されるほどの規模ではないですが、そのぶん新しいことを積極的に試せる良さがあります。お客様の『こんな風鈴があったら』というニーズに寄り添いながら、私たちにしか作れない唯一無二の風鈴を生み出していきたい」

 

変化を恐れず、伝統に革新を加えながら。「篠原風鈴本舗」の挑戦は、これからも続く。

 

Writing 木内アキ

Photo 佐久間鑑

事業者のご紹介

15歳より風鈴作りの修業を始めた初代・篠原又平さんが、1915年に台東区・鳥越に風鈴工場を開設したのが「篠原風鈴本舗」の始まり。向島、押上を経て、1964年より江戸川区へ移転。1964年ごろに二代目・儀治さんが東京で作り続けられている風鈴を「江戸風鈴」と命名した。現在は、職人の手仕事によるガラス風鈴の生産・販売のほか、ガラス吹き・絵付けができる風鈴製作体験(要予約)を受け付けている。