Story

【メリヤス】先人の知恵を一針に込め 洋服の文化をつなぐ

 

「中村縫製」は1970年から江戸川区でものづくりを続けるカットソー専門の縫製工場だ。カットソーが「莫大小(メリヤス)」と呼ばれていた時代から50年以上にわたり、高品質な製品を生み出している。

 

他社での修業を経て、父から家業を受け継いだ中村剛義さんが2代目社長を務める現在は「Made In Japan」の精神を胸に、生地開発からパターンの作成、裁断、縫製まで一貫した受注が可能な体制へと進化を遂げてきた。「故きを温ねて新しきを知る」姿勢で、長く愛用できる製品づくりを探究する現場を訪ねた。


ジャズを演奏するように、生地に魂を吹き込む

江戸川区瑞江の住宅街。モダンな一軒家の扉の向こうではミシンが整然と並び、「縫い子さん」と呼ばれる縫製職人たちが一心に作業を続けている。ここ「中村縫製」は社長の中村剛義さんの両親が立ち上げたカットソー専門の縫製工場だ。

「16歳のときに長野県から上京した父は、繊維産業の多い墨田区で十数年ほど縫製の丁稚奉公(※注1)をしていました。その後、同郷の母と結婚。同じ墨田区でミシン1台、夫婦ふたりで縫製業を始めました。隣の家が裁断屋さんで、窓をカラカラと開けて裁断物を受け取る……なんて昭和の映画みたいな商売を2年ほどしていたそうです。江戸川区に来たのは、会社を創立した1970年。以来、この土地でずっと『メリヤス』を縫い続けてきました」


1階にある縫製の製造ライン。無数の糸と多種多様なミシンがずらりと並ぶ。生成りのメリヤス生地はそのまま製品になることもあるが、服の形に縫い上げた後に染めて色を付けることも。

 

1階にある縫製の製造ライン。無数の糸と多種多様なミシンがずらりと並ぶ。生成りのメリヤス生地はそのまま製品になることもあるが、服の形に縫い上げた後に染めて色を付けることも。

 

そもそも「メリヤス」とは、綿糸や毛糸などを機械で編んだ伸縮性のある布地のことで、現代では主に「カットソー」と呼ばれている。下着やTシャツ、スウェットなど幅広い衣類に使われている私たちの生活になじみ深い生地だが、スペイン語の「メディアス」が語源とも言われ、漢字で書くと「莫大小(メリヤス)」。これは「大小が莫(な)い」=伸び縮みするという当て字だ。日本有数のメリヤス産地である和歌山県では、大ざっぱな人のことを「メリヤスなやっちゃなぁ」と形容することもあるのだとか。

 

「中村縫製」の主な業務は、アパレルメーカーからの依頼を受け、カットソー製品を製造するOEM(他社のブランド製品を製造すること)だが、オリジナリティがあるのはその生産体制だ。分業化が進んでいる洋服づくりの現場において、一般的な縫製工場は「縫う」ことだけに特化している場合が多い。しかし「中村縫製」は、生地の開発やパターンの作成、裁断や仕上げ、染色といった洋服づくりの工程を、専門の加工工場の一部協力のもと、一気通貫で引き受けることができるのだ。

 

2階にある裁断場では、裁断職人が糸鋸のようなカッターを使って生地をパターンに合わせて切り出していく。筒状に織られた生地を重ね、無駄なく、ゆがみなく、正確に切り出すためには経験と技術が必要だ。

 

「うちに依頼をするお客様は、Tシャツひとつつくるにも生地から縫製まで、精度も雰囲気も良い服にしたい、という方が多いんです。

 

ですので、たとえば『オリジナルの生地を使いたい』というご要望に対しては、メリヤスの一大産地である和歌山県で、さまざまな編み機や希少な吊編み機をお持ちのニッター(メリヤスを編む工場)さんたちの技術や生産力をお借りしながら、お客様と工場の間に入る形で、生地特性と縫製仕様を見極めていくところから関わります」

 

というのも「編み物」であるメリヤスは、糸の素材や太さ、編み方、編み機などさまざまな要素で生地の風合いに変化が生まれる。それらを熟知したニッター側と中村さんが協力して、お客様がイメージする生地感を実現するにはどういう糸をどんな編み方にすべきか、設計していくのだ。

 

打ち合わせスペースに積み上げられた大量の生地サンプル。どういう糸を、どのように編んだのか、糸番手のナンバリングが施された重要な資料だ。柔らかくしなやかなものや起毛してふっくらしたものなど、メリヤスにおける生地表現の幅広さが伝わってくる。

 

「縫い」の工程もまた、一筋縄ではいかない。Yシャツ生地やデニムのような「布帛(ふはく)※注2」は織物のため、伸縮性が少なく、アイロンの熱で折り目をつけたり、裏に芯を貼って形を整えたりできる。しかし編み物であるメリヤスは生地そのものが伸び縮みするため、アイロンをかけても布端はカールする。伸縮性を保つため、芯を貼ることもできない。裏側が起毛した生地もあれば、ワッフルと呼ばれる凹凸をつけた生地もあり、幅広い特性がある。

 

生地の特性と着用後の洗濯で起こりうる収縮、染めることによる表情の変化など、起こりうる事態をあらかじめ加味しながら縫製を行うのは、まさに莫大小の真骨頂。中村さんは、メリヤスの縫製を音楽に例えて説明する。

 

「布帛の洋服は、音楽で言うとクラシックなんですよね。指揮者がいて、寸分違わずに指揮棒に合わせていく。しかしメリヤスの洋服はジャズなんです。ミュージシャンたちが楽譜にとらわれず、曲の全体の流れを壊さないようアドリブで演奏するように、職人・縫い子さんたちは、生地の特性を読み取りながら、微妙な調整を行う柔軟性を求められるんです」

 

創業者である中村さんの父・中村英則さんも、熟練の縫い手として製造ラインに加わっている。2枚のメリヤスを重ねて平らに縫い合わせる「フラットシーマー」と呼ばれる特殊ミシンを使用。重ねた生地がずれないよう適度に生地を引くが、引きすぎると伸び、ゆるければたわんでしまう。生地の特性やミシンの調子に合わせた繊細な加減が求められる。

 

依頼を受けてから製品を届けるまでの工程、すべてに関わりながらものづくりをする。この徹底した姿勢は、取引先との関係にも表れている。

 

「厚かましい言い方ですが、僕たちは必ずしもお客様の言うことを聞きません。言われたとおりにするより、生地や縫製を知っている僕たちの発想のほうがいいものをつくれることがあるからです。分業せず、内製100%にしているのも、目指す品質に対して純度を薄める要素を減らしたいから。着るほどに味わいの出る仕上がりになるのはそのためです」

 

本質的な服づくりの価値を追求する。それが中村縫製の生産哲学だ。


古着の中に息づく、職人の知恵とものづくりの姿勢

工場の一角にある打ち合わせスペースには、「中村縫製」がものづくりをするうえでの根幹ともいえる、これまで大切に扱われ、そして現代までのこった『古いモノたち』が並んでいる。技術の進化によって、効率よく洋服が生産できるようになった現代において 『古いモノたち』 を参照するのはどのような理由があるのだろうか。

「品質の安定した服を量産ができるからといって『進化している』と捉えて本当にいいのか、と僕は思うんです。80年前の事を想像すると、ミシンひとつを取っても、その時代の技術の粋を集めた結晶だったわけですよね。縫い目の間隔が開きすぎても駄目、狭すぎると針が折れてしまう。ものすごい情熱を持った人たちが集まって、縫い目の間隔をミリ単位で調整する、そういった細かな積み重ねの上に、一着の洋服が成り立っていたのです」


工場に併設された直営店の一角にある、古いミシンのコレクション。デザインの美しさもさることながら、中村さんの話を通じて、昔の人たちがどういう思いでものづくりに向き合っていたのかを考えさせられる。

 

インターネットも電話もなく、電気さえ今のように安定供給されていない、そんな時代の洋服づくりを想像すると、一着の服がいかに長持ちするようにつくられていたか自ずと理解できると中村さんは言う。

 

「生地にも、縫製にも、当時は一本筋の通ったものづくりがあったはずです。だから数十年の時を経た今でも、これらの服が価値を失うことなく存在しているわけで、ある意味で『答え』を見せてもらっているようなもの。そこから学ぶことは無数にあります。

 

では、技術が進化しているはずの現代の洋服は、50年後に残っていくようなものでしょうか。ファストファッションはもちろん、ブランドの服だって何年残るかわからない。流行と時代の波に飲み込まれた、後世にのこらない服もあるように僕には見えます」

 

「中村縫製」が目指すのは、時を経てなお価値を増す服づくり。「出来上がったときにかっこよく、3年後にはもっと愛用者に馴染んで素敵になっているものをつくりたい」と中村さんは笑顔を見せる。職人技による細部までのつくり込みや長く着られるデザインといった、時代を超えて受け継ぐべき技術と服のあり方を一着一着に込めているのだ。


洋服の「意義」とは何か、本質の探究を続けていく

2019年、工場の1階に小さなお店『中村縫製 Branch Store:でみせ』をオープンした。Tシャツとスウェットを主軸に、古着の良さを受け継ぎつつ、生地や縫製の細部までつくり込んだオリジナルアイテムが並ぶ。

「縫製工場は基本的に表に出ない仕事ですが、つくり手の技術や想いを、直接愛用してくださる方々に伝える場があってもいいのでは、と思いました。時期や状況にもよりますが、縫い子さんの募集も店頭で行っています。店のカウンター越しに、職人が縫っている姿が見えるほどつくり手と距離の近い店ですから、ものづくりや縫製に関心を持つ人との出会いの場にもなっていけばいいな、と願っています」


かつてガレージだった場所をリノベーションした『中村縫製 Branch Store:でみせ』。大切にしたくなる服を家族で着られるように、という願いを込めて、一部のアイテムはキッズサイズも展開している。

 

一枚一枚を大切に、長持ちするようつくられていた時代の服を見つめ続けてきた中村さん。近年主流化しつつある、大量生産・大量消費型のファッションに対してどのような思いを抱いているのか聞いてみた。

 

「安価な服にも役割があるとは思いますし、それを日常着とすることが悪いわけではありません。ただ、Tシャツなど洋服の主な素材である『綿』は農作物です。天候の具合、日照の入り方で豊作のときもあれば凶作のときもあるし、出来不出来も毎回違う。

 

単なる工業製品とは本質的に異なるものであることを、現代に生きる我々は忘れていないだろうか、と感じます。素肌に最も近いところで毎日着用され、幾度も洗濯を繰り返すのがTシャツですから、価格だけでなくその品質や着心地、背景にもっと目を向けてもいいはず、という思いはありますね」

 

綿の栽培と収穫。糸を紡ぎ、生地を編み、縫い、店頭に並ぶまでの間、数え切れないほど多くの人の手を経て、一着のTシャツは生まれる。しかし現代ではなぜこれほど安価なTシャツがつくれるのか。ものづくりの背景を垣間見せてくれる『でみせ』は、そういった事柄について思いを巡らせる機会になるのかもしれない。

 

「縫製工場が見える店」というコンセプトは、アパレルに勤め、現場の流通や販売事情に詳しい妻との共同発案だったのだとか。現在は縫製職人のひとりとして生産を支える頼もしいメンバーだ。

 

「日常着が安価な洋服で補われる時代において、アパレル業界は社会的な存在意義を問われています。でも僕たちは単なる商売のために服をつくっているわけではありません。洋服には文化としての存在意義が息づいている。だからこそ、本当に意味があるものをちゃんとつくっていかないといけないんです」


いつか「あの人は、メリヤスだよ」と呼ばれたい

東京・江戸川区で縫製工場を営む意味について、中村さんは明確な信念を持っている。都心に本社を残し、工場は地方都市や海外に開設する同業者も少なくないが、「中村縫製」はこれからも江戸川区に根を下ろし続けることを選ぶという。

「自分の生まれ故郷だから、という理由ももちろんあります。ただ、これだけ交通網が発達していれば『お客様のもとまで数時間かけて通う』ことに関しては、生産拠点を地方に置こうと海外に置こうと変わりません。アパレルのデザイン部門の多くは都内にありますから、江戸川区であればすぐに来てもらえるし、現場を見ながら密に意思疎通ができます。この立地の良さを活かした方がいい」


さりげなくも重厚な雰囲気を醸し出す「中村縫製」の看板。社名の脇には創業者である中村英則さんの名前が記されている。

 

近い将来、江戸川区内でより製造に特化した製造工場・生産現場を持つことが夢であり、目標だと話す中村さん。OEMとオリジナルアイテムの生産を両立させ、いつか自社製品を核とした直営店を運営するという夢も温めている。

 

「伝えたいこと、伝えなければいけないこと、感じてほしいこと、夢を見てもらうことが全部一緒になった場所をつくりたい。そしていつか『中村さんってどういう人?』って聞かれたら、『メリヤスだよ』って言われるような存在になりたいですね」

 

その言葉はメリヤスという素材を愛し、時代を超えて価値のある服をつくり続けてきた職人としての矜持の表れであり、日々変化する世の中で、創造的なジャズマンのように洋服に向き合ってきた文化の担い手としての姿勢だ。飽きがこず、時間の経過とともに味わいが増す、といった人間性を表す言葉でもあるのだろう。

 

縫製工場という存在を通じて、一着一着丁寧につくられる服が持つ価値を問い続ける挑戦。中村縫製の歩みは、現代のものづくりのあり方に、確かな示唆を投げかけている。

 

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注1:職人・商家などに年少のうちから下働きとして勤めること

注2:縦糸と横糸を交互に織り込んで作る生地

 

 

Writing 木内アキ

Photo 竹下アキコ

事業者のご紹介

夫婦で縫製業を営んでいた創業者の中村英則さんが、1970年に江戸川区で「中村縫製」を創業。現在は息子の中村剛義さんが2代目社長として経営を担い、メリヤス(カットソー)専門の縫製工場として半世紀以上にわたり、高品質な製品づくりを続けている。ニッターや染工場・加工現場と密に連携し、生地開発からパターン作成、裁断、縫製、染色まで一貫した依頼を受けられる生産体制を確立。アパレルメーカーからのOEMを主軸に事業を展開。2019年には工場1階に小さなお店『中村縫製 Branch Store:でみせ』をオープン。「Made In Japan」の精神と時代を超える服づくりの哲学を追求し続けている。