江戸川「もの」語り Story

【はちみつ】ミツバチが教えてくれる 江戸川区の豊かな自然と花々
江戸川区瑞江の住宅街にある鉄工所。その屋上に並ぶ巣箱では、たくさんの蜂たちが公園や街路樹など、街のあちこちに咲く花から蜜を集めている。
「y&y honey」は、江戸川区で生まれ育ち、鉄工所の運営のかたわら養蜂家としても活動する鈴木義明さんが手がけるはちみつブランドだ。「花を知ることは街を知ること」という視点から生み出されるそのはちみつには、都市と自然が共生する江戸川区ならではの豊かな風味が凝縮されている。
鉄工所の屋上につくった、初めての養蜂場
「y&y honey」の養蜂場があるのは江戸川区瑞江。住宅街に溶けこむように立ち並ぶ「有限会社 鈴勝鉄工」の屋上に足を踏み入れると、景色は一変する。明るい日差しの中、プランターで育つハーブや野菜の横に並ぶ幾つもの巣箱。土地の限られた都市部の屋上空間を活かし、都会の自然と向き合うはちみつづくりが行われている。
代表の鈴木義明さんは、江戸川区で生まれ育った生粋の地元っ子。20代の頃は写真家を目指していたが、2000年に父が急逝したことをきっかけに、家業の鉄工所を継承した。養蜂と出会うのはそれから数年後、2007年のことだ。

「鉄工所の仕事がイヤで長年逃げ続けていたんです。写真のコンペでようやく受賞した直後に父が亡くなり、そのときに『家業を継ごう』と覚悟が決まって。自分でものづくりをするようになった今は、すっかり仕事が面白くなりました」と、当時のことを振り返る鈴木さん。
「長野に住む写真家の友人を訪ねたとき、彼ら家族が養蜂をしていたので、手伝わせてもらったんです。そこで『はちみつって自分でも作れるんだ』と気がついて。友人夫婦は雑誌の制作もしている人物。僕が養蜂に興味を持ったのを見て、『雑誌の企画として蜂を飼う挑戦を連載してみないか』と誘われ、それならやってみるか、と挑戦してみたんです」
当時はバブル景気が終わり、景気が長期低迷していた時代。建物の手すりや内部階段などの建築金物を製造していた鈴木さんの鉄工所では、受注の減少も起きていた。働きづめだった毎日の中で、唯一時間を気にせずくつろげる場だったのが自宅の屋上。鈴木さんはそこに自ら東屋をつくり、野菜を育てるなどして楽しんでいた。そこで養蜂もやってみたら面白そうだと思ったものの、想像していた以上に大変だったという。
「たとえば、蜂たちが突然群れをなして巣から飛び立ち、新たな女王蜂と共に別の場所に移り住もうとする『分蜂』という巣分かれ現象があるのですが、初めて遭遇したときはどう対応すればいいのかわからず途方に暮れました。そもそも蜂は『餌をあげれば育つ』というものでもなく、まだ生態が解明されていない部分も多い昆虫。市販の指南書もあるのですが、ざっくりとした情報しか書かれておらず、現場で起きることへの実践的な対処法はなかなか学べません。蜂が増えすぎたり、減ってしまったりといろいろ経験しました」
そんな試行錯誤を繰り返す中、区内在住のベテラン養蜂家を紹介され、多くの知識を教わったという鈴木さん。当初は単なる屋上の趣味に過ぎなかった養蜂が、次第に鈴木さんの人生にとって大きな意味を持つようになっていった。

日本に生息するミツバチは大きく分けて二種類。養蜂の主流となるのが、農家で果物の受粉などにも使われているセイヨウミツバチだ。写真は、資料として見せていただいたニホンミツバチの巣。日本の在来種だが、非常に繊細で飼育が難しいのだそう。
「20代までは音楽ライブや美術館に行くのが楽しかったんです。でも40代になって養蜂を始めたのをきっかけに、これまでとは全く違う、自然の営みに対する興味が出てきて。昔は何もないと思っていた江戸川区も、蜂の目を通して見ると、実は都市でありながら豊かな自然に恵まれたいい場所なんだ、と気がつきました」
江戸川区には、産業として養蜂ができるくらいの自然の恵みがある。そんな発見も原動力となり、鈴木さんの屋上養蜂の規模は次第に拡大していった。
「y&y honey」としてはちみつの販売を行う現在は、江戸川区の屋上に4〜6箱、畑を借りている千葉県市原市には15箱の巣箱を設置し、年間約250キログラムの蜂蜜を生産するまでになっている。

養蜂を行っている屋上の様子。奥の方に置かれている四角い木箱が、蜂が暮らす「養蜂箱」だ。藤棚の下にテーブルを置き、野菜も育てるなど鈴木さんの憩いの空間にもなっている。
巣箱の中から見える、ミツバチたちの働きぶり
鈴木さんに屋上の養蜂場を案内してもらった。巣箱の蓋を開けると、無数の蜂たちに息をのむ。巣板の中で絶え間なく動き続ける蜂たちを見ていると、まるで小さな都市を覗いているような感覚になる。

一枚の巣枠にはおよそ3000匹の蜂がいる。複数段重ねればさらに数が増え、養蜂箱ひとつで数万匹の蜂の社会が構成されている。
養蜂は長い活動サイクルで成り立っている。蜂たちは春の訪れとともに活動を開始し、次々と咲く菜の花・桜などから蜜を集める。その蜜を春から初夏にかけて採蜜し、冬の到来前には蜂たちが越冬できるよう準備を整えることを繰り返していく。
養蜂の基本作業である「巣枠」の点検では、木製の枠を一枚ずつ丁寧に引き上げ、女王蜂がいるかチェックをしたり働き蜂の様子を観察するなど、巣の健康状態を確認していく。

数万匹もの働き蜂の中から女王蜂を見つける作業を行う鈴木さん。手慣れた様子で次々と点検していく。
「巣の中で光っているところが、はちみつが貯められているところです。蜂たちは羽をバタバタさせて集めてきた蜜の水分を飛ばし、糖度が80%くらいになると蓋をして保存します。その蜜をカットして、採蜜させてもらうんです」
蜂の社会は役割がはっきり決まっている。大半を占める働き蜂はすべてメスで、オス蜂は女王蜂との交尾のためだけに存在する。興味深いのは、働き蜂は分業制でその役割は週ごとに変化していく点だ。
「蜂が生まれてすぐ行う仕事は部屋の掃除で、2週目になると外から運ばれてきた蜜を口移しで巣に貯めていく仕事をします。3週目からは外に出て蜜を取りに行き、命の終わりが近づく4週目は門番の仕事をします。ミツバチは自分の針を刺すと死んでしまうので、最後は命をかけて巣を守るんです」

自分の頭ほどの大きさがある花粉を抱えたミツバチが養蜂箱の側にいる。ミツバチが寿命を迎えるまでに集められる蜂蜜の総量は、小さじ1杯程度なのだそう。
およそ一か月という短い生涯でも、彼らは懸命に働き続ける。しかも、集めた蜜は自分たちのためだけではなく、次の世代のために貯めている事実に、鈴木さんは深い感銘を受けている。
「短命でどんどん入れ替わっていく働き蜂は、自分たちが食べるためだけでなく、まだ生まれてもいない次の世代のために蜜を貯めています。特に花がない冬は、蜜をいかに貯めるかが次の春まで群れを維持するための命綱。自分の短い一生を超えて種の存続のために働く姿を見ていると、人間の生き方についてもいろいろ考えさせられますね」
蜂から学ぶことが多い一方で、都市部での養蜂には特有の課題もある。住宅が密集するぶん、蜂が近隣に迷惑をかけないよう周囲への配慮が欠かせないのだ。
鈴木さんは繁殖の過程で大人しい蜂を育てるよう心がけているほか、屋上養蜂の見学会やワークショップも定期的に開催している。参加者に「蜂の通り道を邪魔しない」「大声を出さない」といった、蜂との適切な接し方を丁寧に指導し、養蜂は誰にでも親しめる安全な活動であることを啓発している。

子どもたちをはじめとする江戸川区民に対し、ミツバチが住める自然環境を学ぶ取り組みを企画し尽力したとして、鈴木さんは『景観まちづくり賞』を受賞している。
都市の緑が育む「東京のはちみつ」ならではの個性
養蜂を始めてから、鈴木さんの地元へのまなざしは大きく変わった。蜂の活動範囲はおよそ2キロメートル。この範囲内の蜜源となる花々を探して区内を歩き回るうちに、これまで気づかなかった自然の豊かさが見えてきたのだという。
「さまざまな植物の開花時期は図鑑に書いてありますが、じゃあ実際に区内のどこにその花が咲いているのかは、自分の足で探すしかないんです。たとえば桜は目立つので分かりやすいですが、トチノキのような蜜源は簡単には見つかりません。何年もかけて『y&y honey』の蜜源となっている地域の花々を探し続けました」

「実際に江戸川の街を歩いてみると、新たに区画整理された地域と、歴史ある街並みが残る地域とでは、植えられている樹木の種類や配置も異なれば、街中の緑の量も全く違うんです」と鈴木さん。
「区内を巡るうちに、さまざまな発見がありました。春は菜の花や桜、タンポポに始まり、初夏にはチューリップツリー(ユリノキ)などの街路樹、そして夏から秋にかけての公園や河川敷の花々と、江戸川区では春から秋口まで途切れることなく花が咲いていました。季節ごとの豊かな花のリレーとその多様性が、蜂たちの活動を支えていたんです」
計画的に植えられた緑の多い都市部と、もともとの自然が豊かに存在する地方都市とでは、蜂蜜の風味も自ずと変わってくるのだそう。
「たとえば菜の花の群生地があるなど、地方には特定の花が一斉に咲く環境があることも多いので、はちみつも花の特徴が強く出た個性的な味わいになります。一方、都市部では地域ごとの都市計画に影響されて、多様な花の蜜が混ざり合うので、複雑で奥行きのある味わいになるんです。一般的に、東京にははちみつが採れるイメージはないかもしれませんが、実は地方産のはちみつでは味わえない独特の風味があるんです」

手前の3つが、江戸川区で採れたはちみつ。左から5月、6月、7月と、異なる月に採蜜されたもの。採蜜の時季によって風味も色も変化するのは、さまざまな花の蜜が混じり合う東京の「百花蜜」だからこその特徴だ。
養蜂から考える、都市と自然の新たな関係性
江戸川区での屋上養蜂から、鈴木さんの自然体験は次第に広がりを見せていった。養蜂のために訪れていた千葉県市原市で、畑を始めてもう10年以上。現在は「自然農」と呼ばれる無肥料・無農薬の農法に挑戦している。
「土の中で小さな微生物を育てて、食物連鎖の形で土壌を良くしていく考え方です。2011年の東日本大震災をきっかけに、食べるものの安全性について根本的に考えるようになりました。それで、ますます自分で育てて作ることに傾倒していったのかもしれません」
市原市で農作業をするようになると、畑を荒らすイノシシの存在にも直面する。そのことをきっかけに狩猟の免許も取得、罠猟を始めるようになったのだとか。
「都会で暮らしていると忘れがちですが、自然農をやってみると、私たちの生活は自然のバランスの上に成り立っていることを実感させられます。共存していくために命をいただくこともありますが、それは単なる『害獣』としてイノシシを駆除するのとは違う。蜂も、人間も、イノシシもみな、同じ環境の一員という意識で命と向き合うようにしています」
養蜂を切り口に、都市住民と自然をつなぐための多彩な取り組みも展開している。養蜂で採れる蜜蝋を使ってハンドクリームやキャンドルなどを作るワークショップは、30~40代の女性を中心に人気を集めているのだそう。

あるワークショップで作ったせっけん。蜂が巣に蜜を貯めて蓋をする、その蓋部分のみを丁寧に精製して作る蜜蝋を使用する。顔を近づけると、はちみつらしい甘い香りがふわりと漂う。
鈴木さんは最近、屋上の養蜂場を活用した「share bees」という区民参加型の養蜂コミュニティを始めた。自宅に養蜂箱を置くのが難しい人でも、気軽に養蜂に参加できる仕組みとして注目されている。
「月に1回集まって養蜂にまつわる技術を共有する、という簡単な仕組みですが、興味があって、まずは蜂とかかわってみたいというかたにはぴったりです」

自宅で養蜂をするのが現実的に難しい都市生活者でも「share bees」の仕組みを活用すれば、気軽な形で養蜂を体験し、基礎知識を身につけることができるという。
最近では、江戸川区内のファミリーが鈴木さんの畑のある市原市を定期的に訪れる、という交流も生まれている。子どもたちに自然の中での体験を提供したいという鈴木さんの思いは、都会の子どもたちの様子を見ていっそう強くなったそうだ。
「林道を歩くだけでも、子どもたちはすごく嬉しそうなんです。ただ、僕たちの世代が河川敷などで勝手に遊んでいたのに対し、今の子どもたちは自然があふれる中にいても、どう遊べばいいか分からない様子です。だからこそ、もっと自然に触れる機会を作ってあげたいですね」
養蜂を軸に、さまざまな方面へ活動を広げてきた鈴木さん。蜂を育てる前から続けてきた、鉄工所で培った技術を活かした家具ブランド「f926」の製作にも変わらず取り組んでいる。鉄と木とを組み合わせたその作品からは、ものづくりの楽しさが感じ取れる。

テラスにそっと置かれた、鈴木さんの家具ブランド『f926』の椅子
これからの夢は、江戸川区内に「y&y honey」の店舗を開くこと。販売の拠点としてはもちろんだが、養蜂や自然との共生に興味を持つ人たちが集まり、交流する場にもなることを思い描いている。また、東京産はちみつの可能性も、もっと広げていきたいと鈴木さんは語る。
「いつか海外のマルシェに参加して、はちみつを販売できたらと思っています。まだまだ知られていない東京のはちみつの魅力を、日本はもちろん海外のかたも含めて、もっとたくさんの人に伝えていけたらいいですよね」
江戸川区瑞江の屋上からスタートした養蜂の輪は今や地域を超えて、多くの人と自然をつなぐ架け橋となっている。
Writing 木内アキ
Photo 竹下アキコ
事業者のご紹介
2007年より、東京都江戸川区瑞江の「鈴勝鉄工」の屋上で、代表の鈴木義明さんが養蜂を始め、「y&y honey」としてはちみつの販売をスタート。2010年には千葉県市原市にも蜂場を設置。各地への転飼を始める。現在は「みずえ(江戸川区瑞江)」「いちはら(千葉県市原市)」「ふじ(静岡県富士市)」の3か所で採蜜されるはちみつを取り扱う。2013年から、鈴木さんは市原市の蜂場近郊で自然農業と狩猟を行う二拠点生活も開始している。
・y&y honey
・東京都江戸川区瑞江1-2-15
