江戸川「もの」語り Story

【ブルーベリー】都市型農業の新しい形を探る、観光農園「ブルーベリーファーム東京」の挑戦
江戸時代、都市と農村をつなぐ水運の要所として栄えた江戸川区東小岩。東京と千葉の県境にあたる江戸川のほとりに、23区では最多となる30種類以上のブルーベリーを栽培する『ブルーベリーファーム東京』がある。
2023年に開園した『ブルーベリーファーム東京』は、JR東京駅から電車で約35分という好立地。摘みたての新鮮なブルーベリーを都内で味わえるという、ぜいたくな体験を提供している。江戸川区初の観光農園という挑戦に踏み切ったのは、代々同地に暮らす農家の17代目・矢野高之さん。周囲に住宅が増え続ける中で農地を保全し、かつて祖父母が小松菜を育てていた場所に多彩なブルーベリーを栽培することで、矢野さんは都市に残された農地を活かし、新しい農業の形を模索している。
小松菜からブルーベリーへ、17代目の決断
『ブルーベリーファーム東京』の敷地内に一歩足を踏み入れると、整然と並ぶ1000本ほどのブルーベリーの木々に圧倒される。江戸川区は都内でも農業がさかんな地域だが、観光農園はここが初だ。2023年に開園して以来、来園者が味見して自らブルーベリーを摘み取り、パックで販売する「摘み取り体験」を行っている。ブルーベリーの旬である6月上旬から8月中旬にかけて青く色づく果実を求め、多くの家族連れや近隣住民が訪れているという。
このブルーベリー観光農園を手がける矢野高之さんは、ここ東小岩で17代続く農家の生まれだ。

大学院を卒業して社会人をしていたが、長年、実家の敷地で小松菜農家を続けてきた祖父が脳梗塞で倒れたことをきっかけに、30歳で農業を継ぐ決断をしたという矢野さん。
「両親は農業を継いでいませんでしたし、祖父の引退後は農地を集合住宅にしては、という誘いもありました。でも私は、子どもの頃から間近で見てきた、祖父が農業にかけた思いをどうしても無にしたくなかったんです。とはいえ、約2000平米もある広大な敷地で、経験のない私がひとりで何を育てられるのかという点は大きな問題でした」
現実的な難しさを感じとった矢野さんは、約2年間をかけて全国各地の体験農園や観光農園を見て回った。そしてこう考えた。都心から約35分という好立地を活かした観光農園なら、活路を見出せるのではないか。限られた人員と土地で付加価値のある農業をやれるのではないか。
さらに、イチゴやメロン、ブドウや梨など様々な観光農園を訪問して検討した結果、矢野さんが最終的にたどり着いた選択肢は、ブルーベリーだった。
「ブルーベリーは低木で育つので、お子様はもちろんご高齢の方でも摘みやすい。また、主な収穫時期が6~8月と夏休みに重なるため、首都圏に住むご家族のニーズがあるのでは、と考えました」

取材時、実り始めたばかりだったブルーベリーはまだ緑色。これから時間をかけて、青々としたみずみずしい果実に変化していく。
当初、家族からは「なんでブルーベリー?」「そこまで需要があるの?」と懸念の声も上がったという。それでも矢野さんは、自身の狙いやブルーベリーの特性を訴え、「ここで勝負しなければ農地を残すことはできない」と説得。脳梗塞で会話のままならなくなった入院中の祖父に、この計画を打ち明けたところうなずいてくれたことも、背中を押した。
この農園の最大の特徴は、23区で最多となる約35品種ものブルーベリーを栽培していること。私たちが日本のスーパーマーケットで目にするブルーベリーは数種に限られるが、実際には驚くほど多くの品種が存在するのだと、矢野さんは話す。
「私もブルーベリーを手がける前は、4種類ぐらいしかないのかなと思っていました。しかし実際は、現存するだけでも400~500近くの品種がある。果物や野菜というより、どちらかというと花の品種開発に近い世界かもしれません」

矢野さんが栽培している品種のひとつ「タイタン」。風味豊かで、日本でよく見るブルーベリーより何倍も大きい、50円玉から100円玉大に成長するのだそう。栄養は枝先に集まるため、剪定(せんてい)で枝を整理すればするほど一粒ひと粒に栄養が行き渡り、味も良くなる。提供:ブルーベリーファーム東京
どの品種のブルーベリーも、熟しておいしく食べられるのは長くて3週間程度。うまく旬の時期がずれるよう計算し多様な品種を取り揃えているからこそ、『ブルーベリーファーム東京』は数か月にわたって開園し続けることができるのだ。
希少な品種にも出会える、都市型観光農園の強み
農園内は6つのエリアに分けられ、それぞれ色分けされたポットでブルーベリーが栽培されている。
この色分けにはふたつの目的がある。ひとつは来園者への配慮。ポットの色がエリアの色と連動しているため、園内地図を参照したときに自分たちがどこにいるのかひと目でわかる。そしてもうひとつは、長期間の収穫を可能にするための品種管理だ。

黄色がオーストラリア、ピンクがアメリカ・ジョージア州エリアなどと、エリアごとに大別された原産地がポットを見るとひと目でわかる。
「ブルーベリーの品種は大きく分けて、サザンハイブッシュ(温暖な地域向け)、ノーザンハイブッシュ(寒冷地向け)、ラビットアイの3系統があります。農園内にはアメリカやニュージーランド、オーストラリア原産の3系統・多品種を集め、エリアごとに熟す時季がずれるよう計画的に配置しています。そのおかげで、3か月以上の長期間にわたって次々とブルーベリーが旬を迎え、収穫を楽しめるのです。各エリアには原産地の旗も掲げているので、その品種の背景を知ることもできます」

農園内のエリアマップ。アメリカやニュージーランド、オーストラリア原産の3系統のほか、日本産ブルーベリーのコーナーも。
来園者は、並んだポットの間に入っていってブルーベリーを摘み取るが、この並べ方にも工夫が施されている。通常の観光農園では同じ品種を1列に並べることが多いが、ここでは1列の中に複数の品種を混在させるという独自の方法を採用しているのだ。
「1列すべてを同じ品種で統一すると農園側は管理がしやすいのですが、お客様からすると、違う品種を味見したいと思ったら別の列に移動しなければなりませんよね。1列の中に多品種を集めた当園の方法であれば、列を行き来するだけでいろいろな品種を味わうことができる。近年は夏の暑さも増していますから、あちこち移動してお疲れにならないようにというアイデアです」
そもそもブルーベリーは北米原産で、ネイティブアメリカンが日常的に食していたフルーツ。その後、世界各国で多くの品種改良がなされた結果、本国アメリカでは大粒で皮の薄いジューシーなタイプが主流になっているのだそう。しかし、日本で流通しているブルーベリーの多くは、「クラシック」と呼ばれる原種に近いものがほとんどなのだとか。
「皮の薄いブルーベリーは痛みやすいため、長距離輸送には不向きなんです。だからスーパーマーケットに並ぶのはおのずと、小粒で皮が厚めなクラシック系が中心になります。しかし、都心に近い私たちの農園であれば、収穫してすぐに食べていただけるので、みなさんが普段なかなか口にすることがないであろう大粒で肉厚の高級品種も作ることができるんです」

農園内にあるブルーベリーにはすべて、品種名の札が付いている。写真はブルーベリー苗の育成者・シャープ博士が開発し、ブルーベリー業界を変えたと評される「シャープブルー」。提供:ブルーベリーファーム東京
惜しみない地域の支援を支えに、栽培の苦労を乗り越える
農園内を歩いていると、黄色い花粉を足に付けたクロマルハナバチが、ブルーベリーの花から花へとゆったり飛び回る姿が見られる。受粉用に飼っているこのハチはミツバチより10倍以上大人しいとされ、よほどのことがなければ人を刺すこともないという。

ブルーベリーの花にとまるクロマルハナバチ。「彼らのおかげで豊かな実りが約束されているんです」と矢野さん。

受粉した花は上向きに変わり、花びらがポロッと落ちて実になっていく。
この平和な光景からは想像できないが、『ブルーベリーファーム東京』が今の姿になるまでに、矢野さんは数々の困難を乗り越えてきた。日本の土壌はブルーベリー栽培に適していないという根本的な問題があるからだ。
というのも、ブルーベリーには水がたっぷり必要で、栽培場所の水はけもよいことが条件となる。日本の地面に直接植えてもうまく育たない品種が多いのだ。すべてポットで栽培する方法を採用したのは、この問題を解決するためである。また、地面には雑草対策として防草シートが敷かれているが、これも単なる見た目の工夫ではなく、実用的な意味がある。
「都心から来られるお客様の中には、靴に泥汚れが付くのことに苦手意識のある方もいらっしゃいます。でもこのシートがあれば、小雨が降っても足元がぬかるむことがありません。この工夫は大きかったですね」
さらに矢野さんは、肥料と水を希釈した溶液が各ポットに自動的に供給されるシステムも導入。大量の水と肥料を管理するという大仕事をひとりでこなせるようになったのは、このシステムのおかげだ。

一つひとつのポットにコードが設置され、そこから、その品種に合った肥料を水に溶かして生成した溶液が噴霧(ふんむ)される仕組み。
しかし、どんなに機械化しても、ひとりでは手が回らない時もあった。開園準備の際には、とてつもない量の土をとてつもない量のポットに入れる作業が待っていたのだ。
「ブルーベリーが冬眠する間に、すべての苗をポットに植え替える作業を終わらせなければなりませんでした。容量60リットルのポットが800個、小さめのポットが200個、合わせて1000ポット分の土を作るのは、時間的にも体力的にもひとりではとても無理。どうしようもなくなり、思いあまって地元・東小岩で共に育った小学校時代の友人たちに片っ端から連絡したんです」
驚くことに何人もの友人が駆けつけ、なかには「矢野がそんなに大変ならひと肌脱ぐよ」と有給休暇を取り、10日間も休日返上で手伝ってくれた人までいたのだとか。

ブルーベリーの苗を一定の大きさに育てて、より大きなポットに植え替える作業は、ブルーベリー農家にとって冬の風物詩。
「そのとき集まってくれた友人たちには、本当に頭が上がりません。そのときに助けてくれた小学校の同級生のうち、今も1割が農園に関わってくれていて、毎年ブルーベリーの植え替えの時期になると『そろそろ矢野んちの植え替えどきだな』と言って集まってくれるんです」
この農園と地域とのつながりは、友人間だけにとどまらない。
「創業期には、母が早朝に散歩中の方へブルーベリーの味見を勧めてくれたり、近所の飲食店が”ポスターを貼ってあげるよ”と声をかけてくれることもありました」
亡き祖父の友人で家具職人の「匠」は、農園に必要な木工製品を自作してくれた。現在ではブルーベリーの摘み取りやパック詰めの指導のサポートもしているという。「農業を継いだことで、地域に根ざした絆を実感しているんです」と矢野さんはしみじみ語る。
次世代へとつなぐ、都市に残る農地の大切な役割
地域の人々に支えられながら、観光農園として新たな道を切り拓いてきた矢野さん。そのブルーベリー栽培にかける思いは、おいしいフルーツを提供することだけにとどまらず、都市における農地の意義を問うことにまで広がっている。
「東京のような大都市では、もし大きな地震などで交通が止まってしまったら、食料の調達が難しくなります。でもそういうとき、農地があれば一時的にでも周囲の人々に食べ物を提供できる可能性がある。そんな『いざという時の安心』も、都市農業の大事な役割だと思うんです」
また、地方の広大な農地と違い、人々の生活圏内にあって住民と距離が近いことも都市農業の魅力だと矢野さんは考える。都市型農園の特性を活かし、たとえば同級生たちとのつながりができたように農業を通じて地域コミュニティを醸成するほか、地域の子どもたちへの食育や環境教育といった役割も果たせるのではないか…。矢野さんは現在、小学校の課外授業を受け入れ、江戸川区の子どもたちにブルーベリーの育ち方や自然環境について教える活動も展開しようとしている。

ブルーベリーの産地である北米大陸の地図を参照しながら解説をする矢野さん。
「江戸川区の農家の17代目として、この地で農業を営んできた先祖から受け継いだものを、よりよい形で未来へつないでいくのが私の役目だと思っているんです。だから自分たちの農地を守ることだけでなく、この地域の歴史や文化、コミュニティを守り、次の世代に残すことを考えていかないと」
江戸川区には現在、266戸の農家があるというが、高齢化や後継者不足なども背景にあり将来的な継続は楽観視できない状況だ。矢野さんがブルーベリー観光農園の情報発信に力を入れているのは、単なるPRにとどまらず、都市農業の存在価値を多くの人に知ってもらいたいという思いがあるからだ。
「観光農園のような形で農業を続ける選択肢があることを知ってもらえれば、継承を考える方も増えるかもしれません。祖父の農地を引き継いで新しい形を模索してきた私の経験が、他の農家の方々の参考になるならばうれしいですね。かつてこの東小岩の地域は、江戸と地方をつなぐ水運の要所として栄えていたと聞いています。現代においても観光農園という形で都市と農家をつなぐ役割を担って、私は人と人とのつながりを生み出していきたいのです」
青々と育つ江戸川産のブルーベリーから、東京の農業の未来と、人々の暮らしを支えるヒントが見えてくる。

Writing 木内アキ
Photo 竹下アキコ
事業者のご紹介
江戸川区東小岩で農家の17代目・矢野高之さんが2023年に開園した都市型観光農園。祖父母が小松菜を育てていた農地を活用し、23区で最多という約35品種のブルーベリーを栽培。国内ではなかなか目にできない希少な品種も味わえる。東京駅から約35分という好立地を活かし、6月上旬から8月中旬まで「摘み取り体験」「直売」を提供。コンテナ栽培と自動灌水(かんすい)システムによる管理の効率化を実現し、都市農業の新たな可能性にチャレンジしている。
・ブルーベリーファーム東京
・東京都江戸川区東小岩2-20-3
