江戸川「もの」語り Story

【つりしのぶ】釣るして味わう夏の涼 現代に生きる江戸の風物詩
つりしのぶ
萬園
深野英子さん
青々としたシノブの葉が、風に優しく揺れる。江戸時代から続く伝統工芸品であり、軒先に釣るして盛夏に涼しげな風情を楽しむ観葉植物の一種「つりしのぶ」。その生産を東京都内で唯一専業として手掛けているのが、江戸川区松島にある「萬園(よろずえん)」だ。萬園の深野英子さんは、1935年から90年続く同園を守り、自然の恵みと人の手の技を組み合わせ、都会の夏に涼の趣を届け続けている。
軒先から室内まで、現代の暮らしに息づく「つりしのぶ」の魅力
「つりしのぶ」は、シノブと呼ばれるシダ植物の根茎を、苔を巻いた土台に絡ませながらさまざまな形に仕立て、軒先などに釣るして楽しむ観賞用の園芸品だ。もともとは江戸時代の庭師たちが得意先のお中元用に考案したものが始まりとされ、盛夏に涼を演出する風物詩として現代でも親しまれている。
その都内唯一の専業生産者として技術を守っているのが、萬園の深野英子さんだ。

千葉県流山市で生まれた深野さん。萬園に嫁いでから、創業者である義父の手元を見て学びながら技術を習得。2代目である夫の故・晃正(てるまさ)さんと共に50年以上にわたって生産を支えてきた。
「つりしのぶは夏に涼しげな雰囲気が感じられるのが魅力といわれていますが、秋にはきれいに紅葉しますし、冬に葉が落ちてからもお手入れをすれば何十年と楽しめるものです。お客様の中には、親御さんの代から受け継がれた30年ものをお持ちの方もいらっしゃるんですよ」
シダ植物といっても庭などに根を生やすシダとは違って、シノブは毛の生えた太い根茎を伸ばして岩や樹木に張り付くように成長する。直射日光を避け、適切な水分を与えていると、シノブの親芽から次々と芽が生まれて成長を続けていくのだ。

つりしのぶに使われるシノブの根茎。乾燥に強く、寒さも耐え忍ぶことから付いた名前といわれている。
萬園で生産されるつりしのぶは、芯材を「井」の形に組んだ「イゲタ」や、川の流れを想像させる「いかだ」などおよそ10種類。伝統的な形もあれば、現代のインテリアになじむモダンな形もある。

竹製の小さな船頭さんを乗せた「いかだ」
「先日会った若い女性は『お風呂場に釣って楽しんでいる』とおっしゃっていました。うちの人気商品『井戸』は、井桁に組み合わせた木材の中にシノブを入れたものですが、釣ってもよいし、卓上に置くこともできるデザイン。息子の浩正が、台の部分に使う木材にカンナをかけ、木目を際立たせながら井桁に組むところまでを担当してくれています。今は軒先がある家が少なくなったせいか、室内に飾って楽しむ方が増えていますね」

作業場の入口にあった「井戸」は、卓上に置いても楽しめる木の台座付き。萬園では底面のフックに釣り下げられたかわいらしい郵便ポストの風鈴が風に揺れていた。
冬に仕込んで夏の出荷へ、手作業で仕上げる制作工程
つりしのぶの出荷は6~8月に最盛期を迎えるが、その準備は前年の冬から始まる。地方の山奥に自生するシノブが採取者から届くのが11月。その掃除や選別といった下処理を丁寧に行いつつ、深野さん自身も土台に使うハイゴケを探す。材料が揃ったところで、春から仕込みの作業。商品として出荷できる状態に仕上がるのは、例年5月半ばのことだ。
作業場で「イゲタ」の制作を見せてもらった。まず竹でつくった芯に、ふわふわと柔らかいハイゴケを巻きつける。これは植木でいえば土の代わりのようなもので、水分をしっかり蓄えてシノブの根を付きやすくする役割を果たす。

深野さんが手にしているのがハイゴケ。乾燥しやすい岩場から湿原まで幅広い場所に生息、増えやすく活着しやすいため、苔庭や盆栽などにも利用されているのだそう。
土台に苔を巻き終えたら、その上にシノブを取り付ける。根茎に付いた根が苔に密着するように、向きを確認しながらの作業だ。

苔を巻いた土台に対し、十字型にシノブの根茎を取り付けていく。苔を巻いた側に根が、外側に芽が向くよう注意しながら銅線で固定する。
「ちょうどいい場所に葉が出てくるようにしたいから、釣り下げたときのことも考えながら芽の位置を見て、銅線で固定していきます。それでも目論見通りに葉が生えるかは育ってみないとわかりません。こればかりはしょうがないですよ、自然のものですから」

ハイゴケを巻いた土台にシノブを固定した状態。表面に見えるふわふわと灰色の毛が生えた紐状のものがシノブの根茎だ。
最後に、シノブを取り付けた4本の土台を銅線で井桁の形に固定し、釣り下げ用の紐を巻いたら形は完成。この状態で適度に陽に当てながら定期的に水をやることで、出荷前に葉が伸びるよう育ててゆく。

形を組み終えた「イゲタ」。ここから数か月かけて水やりなどの世話をすると、美しいシノブの葉が伸びてくる。
萬園ではときどき、子供向けの体験教室も開催している。現代の子供たちにとって、植物を加工することは新鮮な体験のようで、戸惑いながらも生き生きとした表情で作業に取り組んでいる、と深野さんは話す。
「根茎をどう持てばいいのかわからなくて、最初は恐る恐るという感じです。素手で苔を触るのに抵抗があるのか、手袋を持ってくる子もいますね。夢中になるにつれ、手袋を外して一所懸命にシノブを取り付けている様子はかわいらしいですね。のちのち『芽が出ました』と報告をいただくのは本当にうれしいものです」
創業から90年、お客様との絆に支えられながら
萬園の創業は1935(昭和10)年。創業者である、英子さんの義父は商売上手で知られていたという。
「創業当時はつりしのぶだけでなく、草花や盆栽も扱っていたそうです。並べた草花が思うように売れないとき、義父は2、3列分さっと処分してしまうんです。そうすると次にお客様が来たとき、『これが売れているんだな』と思って買ってくれる。大胆な発想ですよね」
高度経済成長期の只中にあたる昭和30年代頃までは、江戸川区内でも20軒前後のつりしのぶ生産者がいたそうだ。1969(昭和44)年、2代目である深野晃正(てるまさ)さんのもとに、美容師から転身した英子さんが嫁ぎ、その頃から萬園もつりしのぶ専業に転身。義父や夫ら3人体制で、年間3000個以上を生産する全盛期を迎えた。
「嫁いでくる前は『しなくていい』と言われていたのですが、忙しくて手が足りないので、結局私もせざるを得なくなって。義父は昔気質の職人ですから、つくり方を教えるなんてことはしません。手元を観察して見よう見まねで覚えていきました」

萬園に嫁いでからの日々について、思い出を振り返る深野さん。
義父亡き後、2代目として後を継いだ夫の晃正さんは、江戸川区指定無形文化財、東京都の優秀技能者知事賞を授与された職人だった。しかし2023年4月、夏の出荷に向けた準備を終えた直後に81歳で急逝。現在は、50年以上にわたって共に技を磨き続けてきた英子さんが、息子の浩正さんと2人体制で生産を続けている。
今ではつりしのぶ専業で商売を営むのは都内で萬園のみとなり、その生産量は年間200個程度まで減少した。そうした変化の中で英子さんを支えているのが、つりしのぶを愛する人々との絆だ。たとえば、30年以上にわたって付き合いのある都内の飲食店では、毎年店内につりしのぶを飾ることを楽しみにしてくれている。
「お店の内外につりしのぶを飾る場所をちゃんとつくってくださっているんです。そうやって楽しみにしてもらえることが励みになるんですよね」

世田谷区祖師ヶ谷大蔵の商店街にある「さか本 そば店」。シノブの葉がさらさらと風になびく様子に心惹かれ、30年にわたり萬園のつりしのぶを店の内外に飾っている。

「さか本 そば店」の店内に飾られたつりしのぶ。ほかにも風鈴や金魚鉢といった、江戸時代から続いてきた涼を感じさせるための心遣いがあちこちに。
自然の恵みに感謝しながら、これからも技を守り継ぐ
今後のつりしのぶづくりにとって最大の課題は、原材料となるシノブの調達だ。かつては関東近県でも採取できていたが、今では遠方からの調達に頼らざるを得ない。背景には、山の環境変化や山を熟知した採取者の減少といった要因がある。
「山奥の岩場など特殊な環境に自生しているシノブの採取は、ハイキングというより登山に近い準備が必要です。自分で探しに行きたくても、山を熟知していなければ見つけるのが難しい。よくキノコ採りに行く人でも『シノブはわからない』と言うくらいですから」
山に入る人が減少しているのに伴い、藪や竹が生い茂って容易に立ち入れなくなる山も増えてきた。そういった大変さから、長年付き合いのあった採取者から「シノブ採りは辞めます」と言われたこともあったという。
「それも、夫が逝去した年のことでした。たまたま同じタイミングで萬園を紹介する記事が新聞数紙に掲載されたので、記事を採取者の方に送ってお願いしたところ、『そこまで大切にされているのなら続けましょう』と言ってくださって。もしシノブが手に入らなくなったらそのまま辞めざるを得なかったので、採取者の方には本当に感謝しています」
深野さん家族の不断の努力によって続いてきた、つりしのぶづくり。江戸川区もまたその活動を応援している。夫の存命中まで20年近く出展を続けてきたのが、美術大学の学生との協働で新しい伝統工芸品を生み出す、区主催の「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」。数年前に多摩美術大学の岩城美紀さんがデザインした、金魚鉢をつりしのぶで包んだ作品「金魚としのぶ」は、現在も人気商品として愛されている。

金魚鉢をつりしのぶで包んだ作品「金魚としのぶ」。今では萬園の人気商品だ。
原材料調達の不安定さという現実と向き合いながらも、深野さんは前向きな姿勢を失わない。
「自然が相手ですから、今後も同じようにシノブが入手できるのかは私にもわかりません。でも、手に入る間はできる限りつくり続けたい。今年の夏も暑いですから、つりしのぶを見て涼んでもらえたらうれしいです」
創業から90年。自然の恵みと人の技を組み合わせ、江戸時代から続く涼の美を現代に届け続ける萬園。深野さんの思いは、つりしのぶを愛する人々への感謝と共に続いていく。

Writing 木内アキ
Photo 竹下アキコ
事業者のご紹介
1935年に草花や盆栽も扱う園芸卸売として創業、1960~70年代に、つりしのぶ専業に。江戸時代から続く伝統技法を継承しつつ、2代目・深野晃正さん(江戸川区指定無形文化財、東京都優秀技能者知事賞受賞)と妻の英子さんが中心となって現代の住環境に合わせた製品開発にも取り組んできた。2023年に晃正さんが逝去、現在は英子さんと息子の浩正さんが制作を受け継ぎ、暑い夏に涼を届けている。
・萬園
・東京都江戸川区松島1-32-11
