Story

鋳物と向き合い、時代に沿った製品を提案

江戸鉄瓶工房 小松川鋳造所
横塚裕多加さん

 

工業団地が集まる小松川テクノタウン。この一角に立つのが小松川鋳造所だ。工房の棚に並んでいる鉄瓶には、それぞれ名が付いている。大きな富士の裾野を写し取ったようなシルエットの胴に、ダイヤモンド富士を思わせる摘みがついた「富士」、江戸の庶民が愛した朝顔の模様が並ぶ「朝顔」、はたまた、伝統的な日本の霰(あられ)の模様を一面に施した「玉霰(たまあられ)」……。どれも日本の伝統的な自然風景をモチーフにしていて、薄肉で表面が美しく、わびさびのある柔らかなフォルムが特徴の江戸鉄瓶だ。

 

漆で着色し、鉄そのものの風合いと、押し出した模様だけで作られたその姿が実に美しい。すべて、デザインから仕上げまで横塚裕多加さんの手仕事で、江戸時代の初期から続く鋳造(ちゅうぞう)の伝統技法で作られているものだ。 

鋳造とは、高温で溶かした金属を、砂や粘土で作った型の空洞に流し込み、冷やして固める加工方法のこと。そして、鋳造してでき上がった製品を「鋳物(いもの)」と呼ぶ。江戸の鋳物の歴史が始まったのは、1640年、現在の滋賀県から江戸に来た「釜屋六右衛門」(俗称)が、幕府の御用鋳物師として、寺の梵鐘(ぼんしょう)や防火水槽の役割をする天水桶(てんすいおけ)、釜などを鋳造するようになったのが始まりとされている。現代も、私たちの身近なところに数多くの鋳物がある。マンホールの蓋や家の門扉、鍋や風鈴、水道の蛇口。鎌倉の大仏や上野公園の西郷隆盛像、1964年の東京オリンピックの聖火台も鋳物だ。

 

たとえば工房に展示されている容量1リットルくらいの鉄瓶を作るのに、どれくらいの日数がかかるものなのなのだろうか。

「その1点だけを集中して一気に作ったとしたら、1ヶ月くらいでできるとは思うんだけどね……。どうしても、型を乾燥させたり、焼いたりしないといけないので、それなりの時間はかかります」

デザインが決まったら、作業はそれに合わせた型作りから始まる。その型を作るのも、砂や粘土を調合し、捏ねるところから横塚さんが一人で行うというから驚きだ。また、まったく新しいデザインで作る場合は、その型を作るための道具もゼロから自分で作らなければならない。一点の鋳造品を作り上げるまでに、数ヶ月がかかることも、珍しくない。

型を作るために、横塚さんが手作りした道具の数々。

 

「型が出来上がったら、そこに、熱して溶けた鋳物用の鉄、鋳鉄(ちゅうてつ)を一気に流し込む。そうして型の中の鉄が固まって温度が冷めたら、型から取り外します。どれだけ時間をかけて作っても、型から外すまで、思い通りの仕上がりになっているか、まったくわかりません。だから、型から外す時は、何年やっていても、いつもドキドキ、緊張の瞬間です。いい仕上がりになっているのを確認できた時の嬉しさは、格別ですね。量産タイプの鋳物とは異なり、たとえ同じデザインでも一点一点、風合いが違ってきます」

鉄瓶の蓋部分の模様付け作業。

 

小松川鋳造所の創業は1959年。横塚さんは高校を卒業してから家業である鋳物の製造に携わるようになった。祖父、父に続き、三代目の鋳物職人だ。

「当時、1988年頃は町工場も多くて、私もごく自然に家業に入っていきました。汚れたり、危険な部分もあったりする仕事なので、一般的な企業に就職した同級生がスーツなんかをバリッと着ているのを見ると、自分はこんなことやってていいのかなあと考えたこともありましたけどね(笑)。あの頃はうちの工場にも通いの職人さんが10人ほどいて、先輩たちの作業をチラチラ見ながら、追いつけ、追い越せで、いいものを作ろうという一心でやっていました。工房に寝泊まりすることもありましたね。それで、先輩から“ああ、こいつ、やれるな”と思われたら、少しずつ難しい仕事を任されるようになって、自然と認めてもらえるようになったという感じです」

現在、鉄を使って手作業で工芸品の製作をする鋳物職人は、都内では横塚さんただ一人となっている。この道に入って36年、今も毎回、製作をしながら特に力が入るのは、溶けた鉄を型に流し込む時だという。

溶けた鉄を流し込む作業。製品作りの中で最も慎重さが必要になる作業だ。

 

「溶けた鉄のことを私たちは“湯”と呼びますが、1500度近くになっている湯を型に流し込む時は、仕上がりを見る時とはまた別の緊張感に襲われます。鉄瓶の場合は胴の部分の厚みがあまりなくて、温度がちゃんと上がっていない状態のものを入れてしまうと、綺麗に全体に湯が回っていかないようなこともあります。だから、熱いまますべてに回っていくように、ガーッと一気に入れていきます。重要なのは、流し込む時の温度を見る目や、入れるスピード感、ですね。今は温度を測る温度計もありますが、やっぱり目で見て、ちょうどいいな、とか、あ、ちょっとまだ温度が低いな、などと状態を判断できることが大事です。体で覚えているのでなかなか言葉にするのは難しいのですが(笑)、絶えず見てきているからこそ、わかるところがあると思いますね」

ここ数年、横塚さんが新たに取り組んでいるのは、“今の時代にあった新しい鋳物を作ること”だ。

「昔はね、鉄瓶にしても、1日ずっと火鉢にかけて使っていたので、2リットルくらい入るような大きなものが多かったんですよ。今はライフスタイルが変わって、囲炉裏も火鉢もありませんから、比較的小ぶりの鉄瓶が好まれています。ちょっとお茶を淹れる時に気軽に使いたい、ということで、容量1リットル前後の鉄瓶がとてもよく売れるようになっています。デザインも、あまり凝った形ではなくて、シンプルな形状が中心です」

 

時代に合わせて、見た目はシンプルでより洗練された姿に変わってきたが、沸かしたお湯がまろやかな口当たりになり、白湯として飲んでも美味しい。鉄瓶で沸かしたお湯で鉄分も摂取できるというのも、魅力的だ。

錫で作られたぐい呑みは、シルバーの輝きと、ざらっとした表面の質感が程よく手に馴染むのが魅力。

 

横塚さんは、鉄よりもシンプルで軽い仕上がりになる錫(すず)を使った皿やぐい呑みなども新たに手がけ、どれも好評を博している。また、錫製品については、近年、美術大学の学生とコラボレーションした「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」に参加して、新しい作品が次々と登場している。たとえば、折り曲げてブックバンドとしても使える栞や、アクセサリースタンド、フラワースタンド、スマホ置きなど、横塚さん自身、初めて手がける形状ばかりだったようだ。

「錫という素材は250度くらいで溶けるので扱いやすく、軟らかい金属で、曲げることもできます。だからデザインするにしても、より発想が湧くのでしょうね。このところ、学生さんからは錫の金属特性である軟らかさを生かしたデザインが多く提案されています。やっぱり若者らしいというか、私にはなかなか思いつかない斬新なデザインで、たびたび刺激を受けています」

 

2022年、横塚さんは鋳造技能士の国家試験を受けて、見事、合格。「鋳造技能士1級資格保持者」となった。

「たとえば企業に就職していれば昇進があったりしますが、我々の仕事って、技術が何かの形で改めて認定されるようなことがないでしょう? だから自分はどうなのかなと思って、60歳を過ぎてますが、チャレンジしてみたんです。おかげさまでちゃんと合格できて、それなりの技術の習得はできていたのかな、とホッとしています(笑)」

丁寧に、実直に。鋳物と向き合い、技を磨き続ける。職人・横塚さんのチャレンジは、これからもまだまだ続いていく。

 

Writing 牧野容子
Photo 本名由果

事業者のご紹介

1959年創業。代表の横塚裕多加さんは、デザインから仕上げまで、ひとつの製品を一人で作り上げている。量産型の鉄瓶と異なり、同じデザインでも風合いがそれぞれ異なる一点ものであることが特徴。現代のライフスタイルに適したアイテムとして、小型の鉄瓶や錫を使用した酒器なども提案している。