Story

友禅と、小松菜と、マーブルと。古典をモダンにブラッシュアップ

染色工房くさなぎ
草薙惠子さん

篠崎駅周辺にはたくさんのクスノキのモチーフがある。都営新宿線の一之江から本八幡間の駅には地域性を表したシンボルマークがあり、篠崎駅は江戸川区の木でもあるクスノキがシンボルマークとなっている。そのため、床のレリーフや改札前のモザイク壁画、駅ビルの仕掛け時計(しかしこれは3.11以降節電のため稼働してない)に、もくもくとしたフォルムの木のモチーフがあしらわれていて、篠崎という街は自然が身近でのどかな場所なんだな、と感じることができる。

 

草薙惠子さんの工房があるのは、篠崎駅から少し離れた住宅街の、趣がある庭付き一戸建ての一室。訪れた日は3月に入ってすぐで、玄関には「娘が生まれたときに姑が作ってくれた40年もの」というすてきな雛人形が飾られていた(お姑さんは、御歳105歳!)。2階にある仕事場から窓の外を見ると、よく手入れされた庭ではいろんな花の蕾がほころびつつあった。当たり前に植物や四季折々の情景がある自然豊かな環境は、草薙さんの創作のヒントになっているのだろう。

 

産地によって京友禅、加賀友禅、江戸友禅と分けられる友禅染めだが、草薙さんに京友禅と江戸友禅の特徴を伺った。

 

「京友禅は宮廷文化が反映された、雅で華やかな色合いや、原色に近いような色合いのものが多いんです。それに対して江戸友禅は粋でモダンな感じ。庶民文化だったから、ちょっとシックな色合いで、生活に根ざしたモチーフが多いのが特徴ですね」

むかし、庭にあった植物の山帰来を描いた作品。本来赤い実がなる山帰来を青くして、現代的でクールに昇華。完成まで3年余りかかった大作だ(第62回東日本伝統工芸展入選作品)

工房には、作業中の反物が部屋の対角線を結ぶように張られていた。裏を見ると、アーチ状の伸子針(しんしばり)*1 がいくつも生地に刺さっている。間隔が狭かったり広かったり、リズミカルに見えるがデザインによって刺す本数が変わるそう。一本一本生地がたわまないように、目いっぱい引っ張りながら針を刺す。生地を伸ばしてからも「下絵」「糸目」「地入れ」「挿し友禅」「伏せ」「地染め」など、間違いなくそれぞれで神経を使うであろう作業がいくつもあるのだ。

 

手描き友禅とは、紙に描いた図案を基に白生地へ柄を手描きして、下絵に糊を糸のように細く置いて模様を描き、色挿しする際に隣り合う色が混ざるのを防ぐ。ひとりで柄のデザインから染色まで行うため、デザインによっては完成までに5年かかるものもあるのだとか。

細かい柄になればなるほど伸子針を刺す数が増える。生地が動かないように伸子針に手を添え、生地にもたれかからないように気を使いながら作業を行う

「ひとりだと時間もかかるし大変だけど、臨機応変に手直しや調整がしやすいというメリットもあるんですよ。それに自分の作品として、世界観を表現できるしね」

 

草薙さんはそう話しながら、生地に「糸目」で描いた萩の花びらに、細い筆で薄い紫の染料を挿したあと、乾ききらないうちに深い紫をちょん、と付けて優しくぼかした。ひとつひとつ手描きだとわかっていても、緻密な紋様の中に鮮やかなグラデーションを生み出す様子は思わずため息が出る。熟練の腕の持ち主に、失礼を承知で「はみ出てしまったら全部やり直しになるんですか?」と聞くと、「はみ出しちゃったらシミ抜き屋さんにお願いして、その部分を消してもらうんだけど、これもまた高度な技術がいるんです。だけどその職人さんも数が減ってきているし、お金もかかるから、はみ出ないように気をつけないとね」と笑いながら教えてくれた。

 

工芸的な技術を駆使して布に絵を描く。技術だけでもセンスだけでも成り立たない友禅の世界はとても尊い。

はみ出さないように、丁寧に。だけど勢いも大切。どの筆にどのくらい染料を含ませて、どのタイミングでぼかし色を挿せばいいかを把握している

篠崎生まれ、篠崎育ちの草薙さんは結婚してからも篠崎に居を構え、ずっとこの土地で仕事をしている。そもそも篠崎という土地と江戸友禅になにかつながりがあるわけではない。草薙さんと友禅の出合いは高校3年生、元々小学校の教師になりたくて大学受験をするも失敗し、進路に悩んでいたときだった。

 

「私はとても自立心が強くて、早く自分ひとりで身を立てたかったの。というのも、小学5年生の頃からピアノを習い始めて、両親にせがんでピアノを買ってもらったんです。荷台にアップライトピアノを積んだトラックが小松菜畑の中を走ってくるのを見て、近所中の注目の的になっちゃって(笑)。なのに私、飽きっぽくて、勉強が忙しいからって中学2年生の頃にやめてしまったんです。その負い目から『早く自立したい』という思いがずっと根っこにあったのに、大学受験にも失敗しちゃって。そんなとき、担任の先生がすすめてくれたのが『大塚未子きもの学院』の友禅染色研究科でした。当時は寝間着も着物だったし、今よりも随分着物が生活の中で身近で、なにより絵を描くのが好きだったから、3年間夜学で手描き友禅を学ぶことにしたんです」

 

大塚未子氏は雑誌『装苑』の編集者を経て「もんぺスーツ」「ワンピースきもの」「ツーピースきもの」など、終戦後の日本において機能的な和装を考案したファッションデザイナー。草薙さんが4期生として入学した「大塚未子きもの学院」は1954年に創立された。1970年代頃までは、洋裁や和裁ができる“お針子さん”に服を作ってもらうのが一般的で、日本全国に裁縫学校が設立されていた。

 

草薙さんが入学した当時、友禅染色研究科で指導していたのが、のちに人間国宝となる中村勝馬氏をはじめとする錚々たる講師陣。技術面での素晴らしさはもちろん、芸術作品としての友禅を学んだこと、さらに研究科へ進学し、草木染めなどを学んだことが草薙さんの礎となった。

 

卒業後は友禅の染色工房へ弟子入りすることとなった。当時は新聞の求人広告欄に「手描き友禅、弟子募集」という募集が数多くあり、いくつかの工房へ見学に。その中から問屋の仕事をする工房へ弟子入りし、7年の修行を経て独立する。

 

「入ってすぐの頃は、お給料なんてゼロで。7年かけてようやく薄給を頂けるようになっていました。この頃の体験から、『身につけたものは誰からも奪われないし、お金では買えない』と実感しています。修業時代も、大塚の講師の先生方が出品する『日本伝統工芸展』を毎年見に行き、その創造性豊かな芸術作品に心揺さぶられる日々でした。そこには私が日常、染めている問屋の商品ではない、個性的な創作作品が展開されていたんですね。先生方の作品にはとても憧れたけど、同じ舞台に出品するなんて毛頭考えることもなく、日々納期に間に合わせる商品の製作に追われていました」

 

しかしライフスタイルの変化にともない、着物は“ふだん着”から“余所行(よそゆき)”になっていき、草薙さんが40歳になる頃には、問屋から受注する仕事は減っていった。

 

「せっかく身につけた友禅の技術を生かしたい」という思いから、型染をやっていた松原福与氏が在籍している江戸川区の伝統工芸会へ1993年に入会。松原氏が江戸川区在住だったことも、現在につながっていることの大きな要因のひとつだと草薙さんは話す。

 

道具や図案のメモがたくさんある工房の一画にCDとラジカセの棚が。「音楽好きの夫がすすめてくれたクラシックやジャズを仕事中のBGMにしています。没頭できていいんですよ」

草木染めの知識と草薙さんの中の原風景が合わさったのが「小松菜染め」だ。

 

小松菜は江戸川区の特産物で、草薙さんの両親も小松菜農家をしていたため「小松菜の中で大きくなったようなもの」だと笑う。そんな環境で育ったものだから、江戸川区が主催する学生と伝統工芸者が取り組む新商品開発 “えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト”で、手描き友禅のネクタイのモチーフに小松菜を選んだというのも納得だ。今でこそ洋服やアクセサリーなど、色々な種類の野菜のモチーフを目にするけれど、2000年代で、野菜の、しかも小松菜を取り入れるなんて、なかなか斬新なことだったのではないだろうか。これこそ“生活に根ざしたモチーフを取り入れる江戸友禅”のマインドだ。小松菜のネクタイは農業関係者から多くの発注が入ったそうで、農家さんの小松菜愛も感じるエピソードだ。

 

そんな縁から、小松菜農家関係者から「虫食いなどで商品にできない廃棄処分となる小松菜で染色はできないかな?」と相談され、ここで学生時代に学んだ草木染めの知識が生かされることとなった。

 

「昔から『ヨモギ染め』ってあるし、小松菜でも染まるんじゃないか、って独自に研究してみたんです。ポリ袋2袋分の小松菜を洗って、茎と葉に分けて、最初の頃は葉の色や種の種類も細かくチェックして。小松菜っていろんな種があるから、全部農家さんに教えてもらいながらね。葉のほうが濃いグリーンが出るけど、茎の方が爽やかな色なんだな、とかメモしていくんです。生地の素材によってはにごりのある色にもなるけど、帯揚げ*2 なんかすごくいい感じの色になる。化学染料ではない自然の優しい色だから、着物と相性がいい色に仕上がるんですよね」

 

小松菜で染めたシルクのストールは、柔らかくくすみがかった若草色で、老若男女取り入れやすい、優しい色だ。

 

こうやって捨てずに生かすサイクルを作り出せたのは、まさに草薙さんの技術と知識の賜物。SDGsなんて言葉が生まれるずっと前からその感覚は伝統工芸には息づいているのだ。

 

そして草薙さんの作品の中でも人気が高いのが墨流し染めの小物やストール。マーブル柄の生地というと、エスニックファッションやサイケデリックなテイストなど極彩色なイメージが浮かぶが、草薙さんが生み出すマーブル模様は華があるけど軽やかだ。今っぽく言えば、イエベ春やブルベ夏のお肌にぴったりな、柔らかくて明るいトーン。コーディネートのアクセントになりつつも、いい感じに馴染む色合いのものばかり。

 

「色の相性を把握しているから、友禅作家が墨流し染めをやるといいみたいよ」と言われ、腑に落ちた。

 

このシリーズを作り始めたのは1990年代の終わり頃。江戸川区伝統工芸会の催事用にハンカチを作ってみたところ、想像以上に売れてヒット作となった。当時は45cmのハンカチを染めるのがやっとだったが、ストールが欲しい、とリクエストが入る。「私、そんな技術はないです」と断ったものの、負けず嫌いな性分から何とかできないものかと試行錯誤する日々が始まった。

 

「墨流し染めには昔から興味はあったんです。両国国技館の地下にあるお土産ショップをリサーチしてみたら、型染めや絞り染め、藍染めなどのストールは売られているんですけど、墨流し染めだけがなかったの。試作を繰り返して、最初の頃はうまくできるたびに1枚ずつ写真を撮ってました(笑)。うわ〜こんなふうに染まった〜って。墨流し染めには予想できない面白さがあるんですよね」

カラフルだけど品のいい華やかさを演出できるストール。友禅で培った色彩センスが墨流し染めに生かされた

ブルー系の墨流し染めが水紋のよう。草薙さんの墨流し染めを使って京都の扇子職人が一点ずつ仕立てたもの

墨流し染めと友禅の技術を組み合わせた、草薙さんならではの作品作りもしている。

この作品が生まれたきっかけは、2011年に開催した江戸川区の企画「匠と作ろう」のワークショップだった。

 

もっとカジュアルに、日常的に友禅染めを取り入れてもらうには―― 考え抜いた末、綿のハンカチの一部分を白抜きし、フレームのように墨流ししたデザインを思いつく。白く抜いた部分に、モチーフを糸目で描くところまでを草薙さんが準備しておき、染料を混ぜ合わせて色を挿すという内容の友禅体験を開催。老若男女から好評を博したこのワークショップが、草薙さん自身の作品制作の幅を広げることとなった。漫画家の手塚治虫氏とのコラボレーションへとつながり、マーブルのフレームの中に「火の鳥」や「リボンの騎士」などのキャラクターを手描き友禅で描いたことも。

 

こうした活動は草薙さんが友禅をはじめとする日本の民族衣装としての着物文化の素晴らしさを次の世代へと伝えたいという思いからのことだという。

 

自分では「飽きっぽい」と話していた草薙さんだが、長年篠崎の一室で黙々と作品を作り続けてこられたのは、それだけ手描き友禅や着物の世界に深い魅力があったからに違いない。草薙さんのお話を伺いながら作品を拝見すると、より美しく、愛おしく感じる。

 

友禅に魅せられて50年。創作活動を続けながら、工芸者という立場から産学公プロジェクトで学生と商品開発に携わったり、母校の記念行事にも呼ばれたりするようにもなった草薙さん。

 

くしくも、十代の頃に思い描いた「先生」の夢は、少し形は変わったものの、手描き友禅によって現実となっている。

 

墨流し染め×友禅の作品作りも続けている。丸く抜いた墨流し染めに季節のモチーフを描き、糸目糊置きまで終えた状態。細かいモチーフほど気力も体力も必要!

Writing 西村依莉
Photo 佐久間鑑

*1 衣服の解き洗いや染め直し後の乾燥などに用いられる洗い張りの道具
*2 着物の帯の上辺を飾る長方形の布で、帯枕を覆って前で結ぶ小布のこと

事業者のご紹介

染色家・草薙惠子さん(公社)日本工芸会東日本支部会員は、手描き友禅に携わり約50年。2006年、(社)日本工芸会伝統工芸新作展に初入選、その後東日本伝統工芸展に5度の入選を果たすなど、友禅染の伝統技術を磨きながら作家として日々独自の友禅の世界を追求し続けている。また、墨流し染め(マーブル染め)の技法を用いて、日々の生活にも取り入れやすい商品の制作にも取り組む。