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【江戸表具】書画の美は時を超えて 継承される仕立ての技

江戸表具
笹谷義則さん

 

書画を守るために布や紙を張って、掛け軸や巻物などに仕立てる伝統技術「表具」。その歴史は奈良~平安時代まで遡り、仏教伝来とともに経文の巻物や仏画の掛け軸が伝わったのが始まりとされている。そして、町人文化が花開いた江戸の町で人気を博したのが「江戸表具」。江戸川区に工房を構える笹谷義則さんは、16歳で表具の世界に入り、85歳となった今も現役で江戸表具の魅力を追求し続けている。作品作りに励む笹谷さんに、表具の世界に入ったきっかけや江戸表具の魅力、ものづくりへのこだわりについて伺った。

 

「表具」とは、お客様から預かった書や絵画に対し、和紙や布を糊で貼り合わせて意匠を整えながら、掛け軸などの形に仕立てる伝統技術のこと。そのなかで日本における “三大表具” と呼ばれるのが京都、江戸、金沢の表具だ。それぞれに地域の歴史や文化が反映された独特の特徴をもっている、と江戸表具師の笹谷義則さんは話す。

 

「京都の表具は、茶道の発展とともに洗練された、繊細で優美な仕立てが特徴です。加賀藩の百万石文化を背景とする金沢の表具は、武士らしい重厚感と気品がありますね。そして、華やかな江戸の町人文化の影響を受けたものが私の手がける江戸表具。日本各地から人が集まる大都市ならではの、多様性を取り入れた粋な遊び心が大切にされています」

工房の中で、『赤富士』の掛け軸を広げる笹谷さん。淡いベージュの裂地(きれじ)を組み合わせることで、赤々とした富士の存在感を際立たせている。


絵心があるのを認められ、16歳で表具屋の弟子に

1939年に山形で生まれた笹谷さん。父を早くに亡くし、体調に不安を抱えている母を支えながら10代を過ごしていた。少年時代から絵を描くことが好きで、学校でもよく褒められていたという才能を買われ、上京して京橋にある表具屋の弟子となったのは16歳の時だ。

「師匠は、最初に作業の手本を見せてくれるんです。その後『自分でやってみろ』と、背後から手を添えるようにしてハケの角度や動かし方を2回くらい教えてくれる。そこからは私ひとりで繰り返し作業し、段取りを覚えていく。よい・悪いと言ってくれることもありますが、先輩弟子が叱られている様子を盗み見たりしながらコツコツと技術を身につけていきました。女将さんはしつけや礼儀作法に厳しい人で、お使いに出る時も『近くには歌舞伎座があるんだから』と、ワイシャツに革靴、時計もしていくようにと教えられて。そのくらい当時の京橋界隈は下町情緒もあるけど華やかで、一流の音楽家や画商なんかが出入りする文化教養に溢れた街だったんです」



作業場で修業時代を振り返る笹谷さん。大きな作業机の周りには、表具の材料として使われるさまざまな種類の和紙や、大小のハケといった道具が並ぶ。

修行を続けるなかで師匠にも腕を認められ、現在の作業場となっている土地や建物、そして表具の材料からお客様までを譲り受けて独立。85歳になる現在は、弟子である息子に運営の母体を譲り、江戸表具の技術向上と振興に打ち込んでいる。


正確で緻密な工程を支える、この道70年の技術

江戸表具の工程は手がけるものによってさまざまだ。たとえば掛け軸であれば、書や絵画のもつ佇まいや飾る空間に合う裂地(きれじ)の組み合わせを選ぶところから始まる。仕上がりが想定できたら、表装する(表具に仕立てる)作品の裏に和紙などを糊付けして均一に補強し、形成を行う。その後、選定した表装裂(ひょうそうぎれ)を仮止めし、縁や紐などの装飾を施して完成させてゆく。

古い書画を預かる場合、破れや汚れがあることも。その場合はまず修復をするところから作業が始まる。お預かりする作品は当然一点もののため、失敗は許されない。たとえば破れた書画であれば、濡らした紙の上に作品を重ね、水分を含ませたハケでまずはきれいに伸ばす。そこから破れた箇所をピンセットで丁寧につないでいく。

和紙の破れた部分には紙の繊維の毛羽が立っている。その断面を見ながら、ピンセットで紙をつまんで上下に動かし、繊維を絡ませていく。

「穴が空いている箇所は、補修跡が目立たないよう、経年変化で色が変わった古い和紙から色が似たものを探し、小さく重ねてなじませる工夫をします。だからどんな和紙の切れ端も全部取っておく。いつどんなタイミングで使うか分かりませんからね」

 

補修した作品は、裏側から和紙を貼り付けて補強を行う。迷いなくハケを動かす笹谷さんだが、ここで手早く平坦に塗らなければ反りや歪みの原因に。水分を含み柔らかくなった和紙を傷つけることなく、目にも止まらぬ速さでピンと伸ばす。その正確な手さばきは驚くばかりだ。

 

和紙に薄く溶いた糊を付け、補修した作品の裏側に重ね、柔らかいハケでシワを伸ばす。濡れた和紙があっという間にピンと張る様子は見事のひと言。


高い技術と良質な材料を生かすのは、職人の感性

掛け軸を作るうえで、裂地選びもまた表具師の腕の見せ所だ。作品の色味や雰囲気に合わせて同系色にしたり、あえて差し色を使って遊び心を演出したり。夏を思わせる絵は涼しげに、といった具合に季節感を意識することも。柄の入り方、光沢の有無など、気を配るところは無数にあるが、いずれにせよ素材の特性や色の効果を熟知していないと組合せの妙は生まれない。

日本画を表装した掛け軸。柄の裂地の際に、美人画にあるかんざしと似た柿色を差し込むことで、メリハリが生まれて掛け軸に凜とした表情を作り出す。

「思うに、いい材料と腕の良い職人があっても、いい表具はできません。感性や閃きといったプラスアルファがなければいけないんです。師匠はその重要性を熟知していましたから、修業時代は京橋にあった近代美術館で日本画の展覧会があるたびに『お金を出してやるから観てこい』と勉強させられたものです。特に江戸表具は、伝統を踏まえながらもそこに縛られすぎない多様性が持ち味ですから、京都や金沢の表具も含め、先人たちの作品をたくさん観て感性を養うことが大切だと教えてくれたのでしょう」

 

床の間に飾る掛け軸、茶席に置く屏風など、日本の生活を彩ってきた表具だが、生活の場が洋風建築へと移り変わった現在、和室や床の間のある住宅は減ってもいる。笹谷さんは壁に掛けられるモダンな掛け軸や、表具の技法を用いたご朱印帳など、新しい挑戦にも果敢に取り組んでいる。

 

表具の技法を使って表紙を裏打ちしたご朱印帳(上)や名刺入れ(下)など、伝統の技術を手に取って感じてもらうための小物も製作している。

「私は古い人間ですから『先代が守ってきた技術を残さなくてはいけない』という使命感があるんです。伝統工芸が減りつつある世の中だからこそ、続けていかなければ。自由さも江戸表具の魅力ですから、アイデアを出して新しいものづくりをしていかなくてはね」



確かな技術と一緒に、日本文化の魅力も後世に伝えたい

師匠から譲り受けた江戸川区の作業場は、弟子でもある息子さんが受け継ぎ、現在は木製の額装なども手がけるようになっている。緑豊かで静かな環境が気に入っている、と笹谷さんは言う。

「60年近く前に先代がこの土地を買った時は、周りに何もなかったんです。電車も通っていなければ、バスが来るのも1日1本程度。その頃の私はちょうど結婚したばかりで、京橋の暮らしに慣れていたもので、ここが仕事場になると聞いて『遠くていやだ』とだだをこねたんです(笑)。それがこんなに住宅が増えたんですから、師匠は先を見る目があったのでしょうね」

表具師としてものづくりの本質を追い求める笹谷さん。その姿からは、修練を重ね続ける勤勉さはもちろん、作品への畏敬の念、そして何より美を追い求める心が必要であることが感じ取れる。

「日本には『愛でる』という言葉があります。お部屋に書画を飾り、季節の花を飾り、それらを “愛で” ながら、大切な人たちと旬のお料理を囲んで団らんを楽しむ。表具の美しさや伝承されてきた確かな技術と一緒に、そういう日本の文化の魅力も後世に残していけたら」と笹谷さんは微笑んだ。



Writing 木内アキ
Photo 竹下アキコ

事業者のご紹介

1939年山形県生まれ。16歳のときに表具師・今成正治氏に師事し、江戸表具および古書画の修復を学ぶ。江戸川区伝統工芸会に所属し、制作に勤しむ傍ら地域の中学校に赴き、表具の実技体験学習を通じて伝統工芸の普及に尽力。2016年、江戸川区の姉妹都市・豪セントラルコースト市に友好記念として江戸表具『早春の富士』を贈呈。東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞のほか、江戸川区文化功績賞も受賞。