Story

江戸っ子の美意識を手元に 30以上の工程から生まれる江戸扇子

江戸扇子 扇子工房まつ井

松井宏さん

江戸川と篠崎公園を目と鼻の先に望む自然豊かな住宅地。緑が生い茂る庭を抜けた先にあるのが、江戸扇子職人松井宏さんの工房だ。足を踏み入れると、奥からバンバンと威勢のいい音が響いてきた。折しも、松井さんが折りたたんだ紙を30cmくらいの角棒で叩いているところだった。
「これは拍子木といいます。今やっていたのは「荒打ち(あらうち)」という工程で、扇子の面になる折り目をつけた紙を拍子木で打って押さえ、形を整えているところです。この作業をしっかりやっておかないと、出来上がった後で扇子を開いたり閉じたりする所作が、スムーズにいかなくなるんです」江戸扇子には細かく分けると30もの製作工程があり、松井さんはそのすべてをひとりでこなす。

江戸扇子職人の松井宏さん。30もの工程をテンポよく、軽やかにこなす。

扇子といえば京都で作られる伝統的な京扇子が有名だが、元禄時代にはそれが江戸にも伝わり、その後は独自のスタイルを持ちながら発展。江戸扇子として、今日までその技術と伝統が受け継がれている。
「京扇子と江戸扇子のわかりやすい違いは、まず骨の数ですね。開いた時の大きさが同じくらいのサイズでも、骨の数が全然違います」
京扇子は骨が25本〜35本で、折り目がたくさんあるので折り幅が狭く、繊細な作りになっている。貴族社会ならではの華やかさや雅な雰囲気が好まれ、柄もそのようなタイプが中心だ。一方、江戸扇子の骨の数は15本〜18本と少なく、武家社会が中心の江戸の扇子は質実剛健、無駄を省いたシンプルで粋な作りが特徴だ。
京扇子は分業制が進んでいて、複数の職人さんが製作に関わって作っているが、江戸扇子では、30以上ある工程の全てをひとりで行う。
「どこか一つでも手を抜いちゃったりすると、仕上がった時に、何らかの形で絶対にそれが現れてきます。だから、すべての工程が大事で、気が抜けません。でもその分、いいものができあがった時の喜びが大きい仕事です」
閉じる時にバチッと耳に心地よい音が出るのも江戸扇子ならでは。松井さんが手がける江戸扇子は特にこの音にも定評があり、長年、舞踊家や噺家などからも、手放せないものとして愛用されているのだそう。

 

“ひと工程、ひと工程、心を込めて”と話す松井さん。江戸扇子の製作工程は、どれも緻密で繊細で、微妙な力加減に支えられた手仕事の連続だ。
たとえば、「平口開け」という工程。3枚の紙を糊で貼り合わせた後で、骨を通す入り口を開けるために、ヘラを使って3枚の真ん中に位置する紙を二つの層に分けるようにしていく作業だ。また、「折り」は、折り目のついた2枚の型紙で扇面を挟みながら蛇腹に折っていく作業。そして、「中差し」は、折った後で竹を使って、開口からまっすぐ骨を通す道を一気に貫いていく作業。
「誰にでもできる作業ですよ」と無邪気な笑顔を見せながら話してくれたが、松井さんはどの工程も軽々とスピーディーに、見た目も美しくこなしていく。それは長年の経験と鍛錬によって積み上げられてきたものにほかならない。

「平口開け」の作業。3枚重ね合わされた和紙は、下が透けて見えるほどに薄い。その紙の真ん中にヘラを通すのは、至難の技。

「折り」の作業。10本の指を器用に、スピーディーに動かしていく。

折り目と折り目の間の真ん中の平口のところから差し竹を差し、骨を通す「中差し」。ここで曲がったり、中心からずれたりすると骨が綺麗に入らなくなってしまう。

松井さんの先先代(祖父)も扇子職人で、先代にあたる父親が1933年に独立し、1951年、今の場所に工房を作った。松井さんが4歳の頃だ。
「小さい頃から父の仕事を見ていて、11歳からは日本橋や浅草などのお得意先に配達に行く手伝いもしていました。扇子の材料は基本的には竹と紙なので、軽いと思うでしょう。でも、それを何十本、何百本分と持っていかなければならないとなるとこれが重たい。まだ体が小さかったので余計にそう感じました。でも、その行き帰りの交通費をちょっとだけ多くもらえるんです。これをお小遣いとして、コツコツ貯めるのが楽しみでしたね」

 

松井さんが父親と同じ江戸扇子職人の道に入ったのは、約60年前のこと。ただ、その頃は扇子作りが好きではなかったという。
「小さいころから扇子作りを見て来て、なんとなく作り方はわかっていましたが、もっといろんな世界を見てみたくて、学校を出た後、会社員になったんです。でも2、3年で嫌になって辞めて、家の仕事に取り組むようになりました」

 

父のもとで修行を始めてからも、悩む日々はまだまだ続いた。
「外の人と会う機会がなくなって、次第に孤独感に苛まれたり、修行を続けながらも本当にこの道でいいのか、迷いながら約10年間を過ごして……、それでも結論が出ませんでした」
迷いながら職人を続ける中で、松井さんの中に徐々に変化が生まれ始める。
「父は特にあれこれと細かいところまで教えてくれるわけでもなく、“見て覚えろ”の世界でしたから、私はとにかく父が作るものに少しでも近づけるように、夜遅くまでひとりで手を動かすこともしょっちゅうでした。失敗も何度も繰り返しました。そうこうしているうちに、徐々に何もないところから形あるものを作り上げていくのが楽しくなって……。
同じことを繰り返し練習する、うまくなりたい、一人前になりたいと思うということは、結局、この道しかない、やっぱり天職なのかな、と腹をくくりました」

 

工房内の壁をぐるりと取り囲む棚に目を向ければ、扇子作りの材料や道具で一面埋め尽くされている。たとえば扇面に折り目をつける型紙一つとっても、作る扇子の大きさや微妙な形の違い、折り幅などに合わせて何十種類も揃っている。骨を通す道を開ける「差し竹」も、糊付けをする刷毛も、とにかくあらゆる道具が微妙な大きさや形に細かく分かれている。そして、そのほとんどが手作りで、父親の代から使い続けられているものも少なくない。

先代の手書きの文字が書かれた手作りの道具

さらに、作業机の下から現れた、大きな切り株のような台は、“100年もの”だという。よく見ると、表面の3か所に凹みがある。
「この台は、昔から主に剪定ばさみを使って親骨(一番外側につける骨)を切りそろえて形を整える「先つみ」の作業で使っているものです。手前側にある凹みは先先代が長年使っていた場所で、同じ位置で何度も何度も作業をするので、次第に木の表面が凹んできた、というわけです。その反対側にある凹みは先代が使っていた場所、そして、その隣が私の場所、です(笑)」
“次の誰かがやるときは、ここだね”と、松井さんは、まだ全く凹んでいない部分に手を当て、にっこりと笑った。

「先つみ」の作業で使う100年ものの台。木目が明るく見えている場所を現在、松井さんが使っている。

松井さんが一人前の職人になった当時は都内に約20人いたという江戸扇子の職人も、今は片手に数えるほどしかいなくなってしまった。ものづくりの傍ら、松井さんは一人でも多くの人に江戸扇子に興味を持ってもらいたいと、製作の実演などのワークショップや体験会に積極的に参加している。また、伝統を大切に守りつつ、現代のライフスタイルやニーズに合わせた江戸扇子作りにも挑戦している。その一例が、江戸川区と共同で開発した「グラデーション扇子」だ。広げてみると、左右非対称で片方の面積が狭くなっている。
「たとえば夏場に映画館や劇場で、席について、ちょっと扇子を出して扇ぎたいとなった時に、従来の形だと接近しているお隣のお客さんに触れる心配があったけれど、これだと大丈夫なんですよね」
なるほど、たしかにこれは画期的。斬新なデザインだ。

学生とのコラボレーションで開発した「EDO & TOKYO グラデーション扇子」

松井さんは毎年、江戸川区の伝統工芸者の技と、美術大学の学生のデザインとのコラボレーションによって新しい工芸品を生み出す「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」にも参加している。
「柄や模様を学生さんがデザインして、私がそれを形にします。伝統工芸だからといっていろいろ制約をしてしまうと、その人らしい思い切ったデザインワークができなくなるので、“新・江戸扇子”を作るんだ、という捉え方でいいですよ、と話しています。2022年度には約30点を製作しましたが、出来上がってくると、それぞれに学生さん一人ひとりの顔が浮かんできて、ほっとしますね」

 

さらに扇子作りの合間を縫って、近隣の小学校を訪問し、ワークショップを行うことも。
「江戸扇子の技術と、シンプルな中にある江戸の粋を少しでも多くの若い人に知ってもらいたい。そのためには、今まで通りのことだけをやるのではなく、未来にもずっと使い続けてもらえる江戸扇子を目指したいですね」

 

江戸扇子の未来を見据えながら、松井さんは今日も工房でテキパキと手を動かしている。

Writing 牧野容子
Photo 本名由果

事業者のご紹介

1951年創業。京扇子に比べ、骨の数が少なく、シンプルで粋なデザインが特徴の江戸扇子の制作を手がける。二代目の松井宏さんは、工程ごとに分業されることが主流のなか、30にも及ぶ製作工程をすべてひとりで行う、都内でも唯一の江戸扇子の職人である。