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【わら工品】わらの文化と技を受け継ぎ、和の心を未来へ結ぶ

わら工品

株式会社縄忠

首代光信さん

東京・江戸川区に拠点を置く「縄屋 忠右衛門」こと「株式会社縄忠(以下、縄忠)」は、明治40年の創業以来、神社のしめ縄やむしろといった、わらで作られる「わら工品」を手がけてきた専門店。創業者より数えて5代目にあたる同社営業の首代光信(くびしろ・みつのぶ)さんは、伝統を守りながらも現代の暮らしに寄り添った新しいしめ縄ブランド「minori(みのり)」を立ち上げ、わら文化の継承と革新に挑戦している。今回は「縄」と「わら」を通じた「縄忠」のものづくりについて首代さんに話を聞くとともに、協働で「minori」の開発にあたった、しめ縄職人の岸野明さんの元を訪問した。

稲作の過程で出るわらを加工した「わら工品」は、日本の文化や暮らしと深く結びつき、長年使われ続けてきた。例えば、神社やお正月飾りに欠かせない「しめ縄」。包装や結束に使われる「わら縄」。地面などに敷く「むしろ」などがある。ほかにも、カツオのわら焼きなど料理用、土壌改良材、雪上の滑り止めなど、その種類・用途は多岐にわたる。

社屋からすぐの場所にある「小岩稲荷神社」のしめ縄も、「縄忠」が手がけたもの。


日本の暮らしに寄り添い続ける、わら工品の魅力

「縄忠」の創業は1907(明治40)年。現社長の息子である首代光信さんは次期 “5代目” として、120年近い歴史を受け継ぐべく仕事に励んでいる。江戸川区内にあるわら倉庫は、素朴な懐かしさを呼び起こすわらの香りに満ちていた。年間に扱うわらの量は約20トン。良質なわらの確保が良い製品を作る第一歩だが、入手は簡単ではない、と首代さんは話す。

「現代の稲作農業では、脱穀から選別までを一度で終わらせるコンバインでお米を刈り取るのが一般的です。米農家の作業が楽になるのは喜ばしいことですが、そこで細かく砕かれてしまう稲わらは加工に向かないのです。長いままのわらを手に入れるには、バインダーという小型の機械で刈り取りをしてくれる農家の協力が欠かせません。しかし、年々その数も減っています」

稲作の副産物として生まれる「わら」は、縄やむしろ、わらじといった生活の実用品に加工されるほか、燃料や家畜の飼料など日本の暮らしにさまざまな形で利用されてきた。

わらを使った製品のなかで、「縄忠」が得意とするのが「しめ縄」。神聖な場所に納めるものであるため、しめ縄用のわらは自社で田んぼを借り、田植えから刈り取り、製造までのすべての工程を熟練の職人たちが手がけている。

 

「およそ20年前、先細るわら工品の需要に危機感を覚えたことがきっかけで、現社長である4代目がインターネットでの販売を始めました。すると、全国各地からしめ縄の注文が届くようになったんです。そのとき稲作の変化や職人の減少によって、しめ縄を作れる場所がどれだけ減っているのか、という事実に直面しました。長年受け継がれてきた日本古来の文化や、職人の技術を残していきたい、という強い思いをもってしめ縄作りを続けています」


現代の生活に溶け込む、新しいしめ縄の形を提案

伝統的なわら工品の技法を守る一方で、首代さんは新しい試みにも挑戦している。2023年にインテリアとして使えるモダンなしめ縄ブランド「minori(みのり)」を立ち上げたのだ。きっかけは友人から「開店祝いに使いたいので、胡蝶蘭の代わりに店に飾れるしめ縄がほしい」と依頼を受けたこと。

「要望に応えて作った円形のしめ縄が、予想以上に好評で。試しにSNSに写真を掲載すると大きな反響がありました。従来のしめ縄は『神聖なもの』というイメージが強く、生活のなかに取り入れにくい面がありました。しかしデザインに工夫をこらせば、もっと身近に飾って楽しめる可能性がある、と気づかされたんです」

インテリアとして日常生活に溶けこむ、新しいしめ縄。試行錯誤を経て生まれてきたのは、装飾を極力抑え、わらと稲穂だけでしめ縄が持つ美しさを際立たせたシンプルなデザインだった。

「minori」シリーズのひとつ、紗 ―sha―。稲穂と縄目が生み出す、強さとしなやかさを表現している。

「洋室中心の生活にも自然になじむうえ、国産わらの優しい香りが心を落ち着かせてくれます。このしめ縄が日々の暮らしに安らぎを与え、“実り” をもたらしてくれる存在になれたら、という願いをブランド名に込めました」

「縄忠」の思いやプロダクトの魅力を、しめ縄とは接点の少ない新しい層のお客様に伝えたい。そんな狙いを元に、商品開発においてはクラウドファンディングにも初挑戦。結果は大成功し、目標額を大きく上回る資金を集めた。これらの新しいアプローチによって、しめ縄の概念を変える「minori」の輪は広がり、インテリアとして使用されるだけでなく、結婚式などおめでたい席での装飾兼記念品としても利用されているという。

新ブランド「minori」の誕生によって見えてきた手応えと、しめ縄がもつインテリアとしての新たな可能性について語る首代光信さん。


職人の経験と感覚とが生み出す、縄目の美しさ

首代さんの案内で、同じ江戸川区内に工房を構える熟練のしめ縄職人、岸野明さんの元を訪ねた。縄忠のしめ縄を数多く手がけ、なかでも「minori」シリーズの制作を一手に担っている人物だ。

神社用の大きなしめ縄から、お正月の玄関に飾るしめ飾りまで、岸野家では、代々田植えや稲刈りを行いながら国産のしめ縄を作ってきた。

岸野さんは「現代の生活に溶けこむ新しいしめ縄を作ろう」という首代さんの投げかけに当初から呼応し、試行錯誤しながらアイデアを出し合い、二人三脚で製品開発に励んできた。言わば首代さんのしめ縄の師であり、同士とも呼べる間柄だ。

 

工房に置かれているしめ縄用のわらは「実とらず」と呼ばれる特別なもの。稲穂が出る前に刈り取り、短時間で乾燥させ、直射日光の当たらない部屋で管理することで青々とした色合いが保たれている。

乾燥させた「実とらず」を30分程水につけた後、専用のローラーでわらを叩いて柔らかくし、下準備を行う。

「minori」シリーズの新作、置き型のしめ縄、綾 ―aya―を作る様子を見せてもらった。編む前に、わらは下準備を加えて柔らかくしてあるはずなのだが、岸野さんが持つわら束にはしっかりと張りがある。それらをまとめて撚るのは力の要る作業だ。

 

「きつく締めすぎず、かといってゆるすぎず、適度な締め具合を一定に保ちながら仕上げることが大切です。手の送り方や力加減の塩梅は、長年の経験や感覚によるものだから言葉で説明するのはどうも難しくてね」と岸野さんは笑う。

ねじった縄目が美しく均等になるよう、ときに手だけでなく足も用いながら、しっかりと編み上げていく。

代々農家を営みながらしめ縄職人を続けてきた岸野さんにとって、「minori」の誕生はやりがいのある挑戦だったという。

 

「伝統的なしめ縄は、決まった形や作り方があるけれども、『minori』は形からして自由でしょう。職人としての創造性を発揮できる余地がある、というのが嬉しいですよ。首代さんから『お客様に喜んでいただけた』と聞くのが、最もやりがいを感じる瞬間です」

 

経験に裏打ちされた岸野さんの高い技術と、細部までこだわり抜く美意識。そして首代さんの新しいことに挑戦する姿勢があってこそ、しめ縄の新たな可能性が生まれてきたのだろう。

ときにはお酒を片手に、しめ縄について語り合うという岸野さん(左)と首代さん(右)。伝統技術を守りつつ、新しい挑戦を続けるふたりの姿勢がわら文化の未来を支えている。


江戸川区に根差し、世界へと一歩を踏み出す

創業した明治の頃から、江戸川区で商いを続けている「縄忠」。社屋がある小岩の街は、家業を代々継いでいる人が多く、首代さん自身も父や祖父の働く背中を見ながら育った。

「大学時代は会社を継ぐことは考えていなかったのですが、10年前にネット通販が軌道に乗った頃、初めて父から会社を継いでほしいと言われて。それまで、わら工品の商売は先行きが厳しいと感じ、声をかけられなかったのでしょう。悩みましたが、代々先祖が守ってきた文化を私も守っていこうと覚悟を決めました」

「家族はみんな会社にいますので、小学校の頃から『行ってきます』『ただいま』と声をかけるのはこの事務所でした」と幼き日々を振りかえる首代さん。

「地域の人と人の間に強いつながりがあり、互いに支え合う小岩という町が好き。この街に育てられたという感覚があるので、私もこの地で次の世代の成長を見守っていきたい、と思ったんです」と首代さんは話す。これから叶えたい夢のひとつは、わら文化を世界に広めることだ。現在は「minori」を通じ、しめ縄の魅力を世界中の人たちに知ってもらおうと、稲穂の輸出規制など海外輸出の対応に勤しんでいる。

 

「伝統を守りつつ、時代に合わせて変化していくことも大切ですから」と首代さん。稲穂が実るように、縄忠の新たな一歩が世界で実を結ぶこれからに期待が高まる。

Writing 木内アキ

Photo 竹下アキコ

事業者のご紹介

1907年頃、江戸川区で農家のかたわら、わら縄やむしろの販売を始める。その後、小岩にて「縄屋 忠右衛門」として創業。二代目忠之助の名前を屋号に「縄忠」として、わら工品の販売、神社、神棚などのしめ縄の製造販売を手掛ける。2023年に「しめ縄をもっと身近に、気軽に」をコンセプトとした新ブランド「minori」を発表。店頭およびインターネットでの販売を展開している。