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【江戸組子】小さな木片が織りなす 繊細な模様の伝統美

江戸組子
江戸組子 建松
田中孝弘さん

 

江戸川区南篠崎、穏やかな人の営みが感じられる住宅街の一角に「江戸組子 建松」の工房はある。建具屋で修業しながら組子細工の技術を習得した、先代の田中松夫さんが創業したのが1982年のこと。現在は2代目である息子の孝弘さんが技を受け継ぎ、緻密な手仕事を今に伝えている。

 

工房の中には、ふんわりと木の香が漂っている。中央に置かれた作業台の前では、田中孝弘さん(以下 田中さん)が木材を細く挽き割り、組子に用いるパーツを作っている最中だった。使うのは主に木曽ヒノキや秋田スギ。年輪の細かい、高品質な国産材を使用することで温度や湿度の変化にも強い、丈夫で美しい製品ができあがるのだという。

 

組子の材料となるこま(木片)や木枠のサイズは作る物によってさまざま。求める用途に合わせて、すべて1枚の板から田中さん自身が切り出して作成する。


江戸の文化が育んだ、東京の組子細工

「組子細工」とは、釘を使うことなく小さな「こま」と呼ばれる木片を手作業で組み合わせ、繊細な幾何学模様を生み出していく日本の伝統的な木工技術だ。その起源は平安時代末期にまでさかのぼり、障子や欄間といった建具の装飾技法として進化を遂げてきた。

組子の技術が飛躍的に発展したのは、木造建築の需要が高まった江戸時代。麻の葉や雪の結晶など、職人たちが腕を競い合う中で磨き抜かれた200種類以上もの柄が現代へと伝えられている。文様には一つひとつ意味があり、例えば『麻の葉』には健やかな成長への願い、『菱形』には子孫繁栄の願いが込められているという。


亀の甲羅を模した六角形の「亀甲紋様」は、長寿を表す縁起の良い柄のひとつ。雪の結晶のようなあしらいが美しい「雪型亀甲」といったさまざまな種類がある。

全国各地で見られる組子細工だが、「江戸組子」という名称は孝弘さんの父である先代の松夫さんが名付け親だ。「組子細工の技術は火事が多い江戸よりも、地方で発達したという言説があります。しかし、東京にも江戸の町人文化が育んだ組子の伝統があり、それを大切に受け継ぐ職人がいる。そのことを知ってほしいという思いを込め、父の代から『江戸組子 建松』と名乗るようになりました」


0.1ミリの精度が作り出す、美しい幾何学模様

工房で、田中さんがこまを組み合わせる様子を見学させてもらった。多くの場合、組子細工は障子など寸法が決まった建具の中に組み込まれる。そのため、最初にきちんと制作物の寸法を測り、大枠を形成する。その桟の中にこまを組み入れて、細かな模様を表現していくのだ。

工房の壁面に飾られた、組子のベースとなる枠組み。直角に交わる「格子組み」やななめに交わる「菱組み」の中に、小さなこまを組み入れて模様を作っていく。

「決まった寸法の中に収めようとすると、0.1ミリの誤差が一か所あるだけで徐々にバランスが崩れ、ぴったりと組めなくなります。ですから鉄製のコンパスを使って、柄がきれいに収まるようコンマ何ミリの差を調整しながら割り付けをしていく。この計算が最も大変な作業かもしれません」

 

切り出して、かんなをかけた「こま」。模様によって先端の断面の形状や角度を微細に調整していく。

割り付けが終わると、次は模様に使うこまを切り出し、かんなをかける作業が待っている。作る模様によって、こまの長さを変えるのはもちろん、断面の角度についても繊細な調整が必要だ。

 

「組む時に糊付けこそしますが、きちっと寸法や断面の角度を合わせて枠に入れることで木片同士が支え合い、美しく収まるんです。例えば行燈照明のような小型の物でも、使う木片は2500個以上。完成まで数か月にも及ぶこともありますが、文様に込められた意味を大切にしながら手を動かしています」

 

 

工房の壁面に、用途によって使い分けるというかんながずらり。「職人さんの廃業でもう手に入らない道具もありますから、大切に使っています」と田中さん。


和洋の枠や国境を超え、広がる組子の魅力

もともと和室の建具として発展した組子細工だが、近年の住宅事情は洋間が中心。その変化が江戸組子にも新しい流れを生み出している、と田中さんは話す。

「最も多い注文は和室の障子なのですが、最近は『洋室の窓に組子を入れたい』というご要望も増えてきました。また、『リビングのパーティションとして屏風を作ってほしい』というマンション住まいの方からのご注文も多いです。和モダンなインテリアとして江戸組子を取り入れてくれるお客様が増えているのは嬉しい限り。私は “作家” ではなく “職人” ですから、お客様が欲しいものを形にして気に入って使っていただくのが何よりの喜びなんです」


工房に置かれた麻の葉文様の屏風。窓辺から差し込む光が、組子細工の文様が織りなす陰影を優しく浮かび上がらせている。

建具の枠を超え、現代の生活に取り入れやすい組子を使ったインテリアの開発にも田中さんは意欲的に取り組んでいる。テーブルやテレビボードといった大型家具のほか、明かりを灯すと室内に組子の柄が浮かび上がる行燈タイプの照明など、細工の繊細な美しさを堪能できる商品が人気だ。

秋田スギを用いた行燈タイプの照明はオーダーが引きも切らない人気商品。明かりを点けると、組子の模様が床や壁に柔らかく投影される様子も美しい。

日本の伝統工芸に対する海外からの関心の高まりは、江戸組子に対しても例外ではない。ある時はパリのデザイナーと組子細工の装飾鏡をコラボレーションで制作。また、ある時は世界中に販路を広げる飲食チェーンが日本にショップを開設するにあたり、内装を担当したイタリア人デザイナーからの指名で、組子の壁面装飾の注文が入ったこともあったという。

 

「インバウンドで来日する観光客を工房に受け入れて、組子のコースターを作るワークショップも好評です。組子の照明は特に海外の方に人気があり、持って帰りたいというご希望もあるのですが、国による電圧の違いや、輸送サイズの兼ね合いがある。外国での販売を視野に入れて、前向きな改良を施していかなければ、と考えています」

フランス人デザイナーのネルソン・フォッシー氏とのコラボレーションによって生まれたミラーが工房に。傍らに置かれた色紙掛けも、海外のお客様から人気が高いのだとか。


江戸川の地域に支えられ、世界へ羽ばたく

初代が創業して以来、江戸川区で事業を続けてきた建松。田中さんにとっては生まれ育った愛着のある街だ。子どもの頃を振り返ると、当時の風景がありありと浮かんでくるという。

「すっかり区画整理されましたが、私が子どもの頃には、この辺りにもまだ茅葺き屋根の家が結構残っていたんです。田んぼがあり畑があり、蓮池なんかもいっぱいあってね。毎日泥だらけになるまで遊んで、真っ黒になって帰ってきたものです」

今は少なくなってきたものの、町工場や職人の工房も多い地域だったとか。しかし、住民の気風にその名残を感じる、と田中さんは話す。

「この地域の人々は、私たちのような商売に理解があるのを日々感じています。木材を切り出すのに機械を使うと、音が出るのでご迷惑かと思うのですが、そういうことも受け入れてくれて。住民の方々のご理解とご支援があってこそ、今日まで続けてこられました。便利で住みやすく、環境も良い。ものづくりの拠点として最適な場所です」

工房の中には、穴開けや切り出しなど木材を加工するための機械も置かれていた。

最後に、田中さんが江戸組子を通じて叶えたい夢について聞いてみた。

 

「私は大学で建築を学び、都市計画の会社で働いて、それから父についてこの道に入り25年が経ちました。その間、ずっと温めてきたのが『いつか海外進出してみたい』という思いで、最近それが実現しつつあるのがとても嬉しい。これまで私が接した海外のお客様は、制作の工程に関心を持ってくださるだけでなく、組子の歴史や文様に込められた意味など日本のものづくりの背景にも強く関心を持ってくださっているんです。単に『キレイだね』で終わらせるのではなく、受け継がれてきた文化を大切に、意味を持ったものづくりをして、それを伝える努力を怠らずに続けていきたいです」

お話を聞かせてくれた2代目の田中孝弘さん。「組子作りを始めてから何十年経っても、いまだにものづくりが楽しい。お客様が喜んでくれる姿を見るのが職人として何よりの喜びです」

江戸川の地に根ざしながら、時代に合わせて進化を続ける江戸組子。その繊細な美しさと深い意味合いが、これからも多くの人々の心を惹き付け続けることだろう。

Writing 木内アキ
Photo 竹下アキコ

事業者のご紹介

15歳から建具職人として修業した創業者の田中松夫が、1982年に江戸川区で「建松」を設立。1998年に一級建築士の資格を持つ孝弘が2代目修業を開始。障子や欄間といった和室の建具に由来する伝統的な組子細工の技術を継承しつつ、照明やテーブルなど、現代のライフスタイルに応じた新しい製品開発にも取り組んでいる。2006年江戸川区指定無形文化財に認定。